最盛期の明治初期には約500人いたが今は6人

イタコとは東北に息づく伝統的な女性の霊媒師だ。死者の魂を自身に憑依させ、死者の言葉を伝える「口寄せ」を生業にしている。

撮影=鵜飼秀徳
恐山の極楽浜に立てられた死者の魂を慰める風車

その起源は江戸時代にまでさかのぼる。山で活動する修験者(山伏)の妻が、呪術を身につけ、その後、弟子に巫術ふじゅつの伝承をつないできた。イタコは最盛期の明治初期には南部地方(青森県東部、岩手県北中部)を中心に500人ほどいたとされる。

前回、私がイタコの取材に入ったのは2016年冬。この3年の間に2人のイタコが、高齢で引退したり、亡くなったりしている。私はこの機会を逃しては、二度とイタコに会えなくなるとの危機感を抱いていた。

「恐山といえばイタコ」。そんなイメージもあるが、彼女らは恐山に常にいるわけではない。イタコは普段は八戸などの集落に暮らしていて、地域の中で活動をしている。恐山には春と秋の大祭の時にだけ、出張してくる。恐山がイタコの代名詞になったのは、1974年に寺山修司監督の映画『田園に死す』で、恐山でのイタコの口寄せが取り上げられたことがきっかけという。

6人のうち70代以上が5人、最年長は88歳

この日、恐山の山門脇でイタコの看板が出ていた。口寄せをしていたのはわずか1人のイタコ。5組が順番を待っていた。そのうちのひとり、県内の女性(65)は30年以上前から毎年、イタコに会いに来ているという。口寄せが終わった後、感想を聞いた。

「義理の弟が今年で13回忌を迎えるので口寄せしてもらいました。とても懐かしい思いで胸が一杯になりました。私にとって口寄せは、お墓参りと同じく欠かせない習慣です。昔は、イタコは大変な人気で、順番を待つのも一苦労でした。早朝から並んで夕刻になり、いよいよ私の番という時に『今日はこれでおしまい』となって悔しい思いをしたこともありました。最近では随分、イタコが少なくなりました」

女性が言うようにいま、イタコは消滅の危機に直面している。

撮影=鵜飼秀徳
最年長イタコの中村たけさん(八戸市で)

近年、恐山に出張してくる正統なイタコは、1人か2人。県内で活動するイタコも全部で6人だけになっているという。うち5人が、最年長88歳の中村たけさん(八戸市)を含む70代以上の高齢者だ。「消滅」は時間の問題と思われる。

イタコ文化に詳しい郷土史家の江刺家えさしか均さんは説明する。

「平成の初め、恐山で口寄せをするイタコは30人ほどいました。当時は南部イタコのほかに、秋田からもイタコが集まってきた。群雄割拠のなかでイタコも生活していかねばならないため、顧客の獲得に必死です。弟子をとれば、将来顧客を奪い合うライバルになる。そうして、半世紀くらい前から弟子の養成がなおざりになり、いよいよイタコが高齢化してきて消滅寸前になっているのです」