47歳「最後のイタコ」が巫術の技術を残そうと試みる
「私は地域によりそう相談者でありたい」
「最後のイタコ」と呼ばれている、最年少の47歳の松田広子さんはいう。松田さんは盲目ではないが、幼い頃から地域のイタコと接し、憧れを募らせて、師匠に弟子入りが認められた。そして、19歳で正統イタコの証しである神札「オダイジ」と数珠を継承した。ほかの5人のイタコと比べて極端に若い。
だからこそ、東北の貴重な民俗文化を守ろうと、松田さんは奮闘する。郷土史家の江刺家さんとともに巫術の技術を記録として残そうと試みている。
イタコは盲目であるため、巫術は口伝で承継されてきた。そのため伝書が残っていないのだ。イタコの資料を体系だてて整理した資料館も存在しない。よって、ひとたびイタコが途絶えてしまうと、二度と巫術が再現できなくなる。
松田さんと江刺家さんはさらに、「オシラサマアソバセ」という伝統儀式を復活させようという試みも始めている。オシラサマとは、桑の木を人型に彫った一家の守り神のことである。桑の木が使われているのは、桑の葉を食べる蚕の、繭を生産する能力に「家の繁栄」をなぞらえた、とする説が有力である。オシラサマは一見、「こけし」のような姿をしているが、基本的に男女の対になっていて、衣装が着せてある。
オシラサマを年に数回、南部地方の一族の女性たちだけで「遊ばせる(供養する)」神事がオシラサマアソバセである。江刺家さんの調査によれば、20年以上も前からイタコによるオシラサマアソバセが行われた事例は見当たらないという。このオシラサマアソバセの祭司を担ってきたのがイタコであった。
人々の「悲しみの受け皿」であるイタコは滅びゆくのか
松田さんが実演してくれた。
オシラサマを両手に持ちつつ、上下左右に振りながら、「神様」を降ろしていく。そうして、イタコとオシラサマ、そして地域の女性たちが一体となって、「遊ぶ」のだ。このオシラサマアソバセによって、一族の無病息災、家内安全、家業繁盛などが祈願されるのである。
松田さんはいう。
「ご本人の悩みや悲しみの相談に乗ってあげるのがイタコの仕事。心理カウンセラーなどとはまた違う、別の糸口から、その原因を手繰り寄せてあげるのが私の役割でしょうか。イタコが消えてしまう? 時代の流れですから、それはそれで仕方のないことかもしれませんね」
とくに都会では、即物主義が拡大し、目に見えるものしか信じられない社会になっている。しかし、この世が無常である限り、いつ何時、災害死や事故死、自殺など愛する人との突然の別れが訪れないとも限らない。そんな時、「悲しみの受け皿」が必要だ。滅びゆくイタコにしばし、思いをはせた時間であった。