時にはわざと声をからして老人声に
他にも、2005年の映画『フライ、ダディ、フライ』の際には、撮影までの1年間、毎日2時間のジム通い。2013年『永遠の0』では当時の資料を調べた上で、零戦のパイロットに会いに行き(※15)、2016年『海賊とよばれた男』では、朝から「あーっ!」と叫び続けて声をからして老人声に(※16)、2017年『関ヶ原』では自分の演じる石田三成の墓に自分でアポを取ってお参りしたり(※17)……と作品ごとに徹底的な役作りのためのリサーチや行動を欠かしません。
ここまで見ると、文化系のストイックさと、体育会系のストイックさを併せ持っていると言えますが、本人にはあまりストイックという意識はないようです。
「ストイックと言われるとしたら、『まだ足りない』『まだうまくない』って気持ちがあって、それを片づけていっている姿がそう見えるのかもしれない(※18)」
出発点は、自分が劣っているという自覚。成果を出しても慢心せずに続ける欠乏感は、見ている地点の高さと、新しいジャンルに常に挑戦し続ける貪欲さによるもの。自分より高い山を見るからこそ、その山の頂上にいても、さらに上を目指す。岡田には慢心という概念がないのです。
「馬を習い、格闘技を始め、自分が劣っている分を学んで補おうと、忙しいのに習い事ばかりして、自分にお金ばっかり使ってました(笑)。それが今、役立っていますし、これからも続けていきたいですね(※3)」
仕事を始めて20年経っても「35歳の等身大の社会人として見られたい(※19)」と控え目に語る岡田は、稼いだお金を自分のために使う、自己投資を怠らない社会人の鑑なのかもしれません。
ライバルは身近でなく、はるか遠くに
こうして、2014年には『軍師官兵衛』でついにNHK大河ドラマの主演を務め、同じ2014年度の第38回日本アカデミー賞では、『蜩ノ記』と『永遠の0』で最優秀の助演男優賞と主演男優賞をダブル受賞という快挙を成し遂げます。近年では撮影や殺陣の振付師……と、スタッフとしても映画に参加。仕事に邁進し、評価もついてきている30代の岡田は、苦悩の10代を超え、幸せそうにも見えます。
悩み続けておよそ20年、35歳でこう振り返ります。
「思い返すと僕は、ファンの皆さんやメンバーや周囲の人たちの優しさに浸って、そこで満足してしまうことを恐れていたのではないかと思います。チヤホヤしてもらうことに甘えて、そこで求められる以上のことをせず、自分がいる世界以外を見ないで、何も新しいものを生み出すことをしない自分にはなりたくなかったのかもしれません(※20)」
自分の置かれている状況に慢心しないこと。どれだけ恵まれた環境を与えられても、岡田の意識は常に新しい世界へ。
とかく人は、ライバルや目標を自分の近くに設定してしまいがちです。しかし、岡田は、実際に会って天才と感じた人や、本や映画の中に尊敬の対象を見つけ、自分の発奮材料にしてきました。
「ジャニーズでデビュー」というそれだけで目が眩んでしまいそうな世界をいきなり与えられた岡田は、それでも慢心せずに、自分の頭で考え続けて、外の世界を意識し続けてきたのです。結果的に俳優としても聞き手としても……ジャニーズという世界の外でも成果を出し続ける存在になっています。