ハイヒールではなく、新郎と一緒にスニーカーを履くことによって、結婚式という特別な場においても日常の雰囲気を醸し出したことが、「いいね」と「共感」されたのだ。

“つながり”を求めて消費する時代

スニーカーなら、誰でも履ける。男女や世代を問わず、家族全員で同じものを履くことも可能だ。機能的で快適で、外反母趾がいはんぼしになることもなく、たいていのものは価格もそんなに高くない。スニーカーを履くことは、ファッション的にも、ジェンダー的にも、健康的にも、そしてコストパフォーマンス的にも理に適っている。

米澤泉『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』(幻冬舎新書)

ルブタンのハイヒールを履いていれば、羨望のまなざしとともに後ろ指を指されることがあるかもしれないが、スニーカーを履いていれば、非難されることは決してないだろう。飾らない、頑張りすぎないおしゃれをすることにより、他者からも親近感を持たれ、共感される。私も欲しい、履きたいと思われる。スニーカーは、まさに、つながりを求める時代に相応しいアイテムなのだ。

差異化消費から共感消費へ。特にSNSが台頭してからは、人に差をつけるためではなく、人とつながるための消費が主流となってきている。友だちがいいねと言ったから、私も同じものを買ってみよう。共感できる人が薦めるから私も着てみよう。とりわけ、2000年代に成人になったミレニアル世代(ミレニアルズ)はこの「共感消費」の傾向が強いとされる。

共感できればいいから、所有する必要はない

お互いに共感するためのアイテムなのだから、別に所有する必要はない。共感をシェアできればそれでいいのだ。よって、このミレニアル世代は、所有欲もあまりない。一時は好きだった服も、その時期が過ぎればメルカリで売ればいい。もし、好きだったという思い出を記憶しておきたいのならば、デジタルで残せばいいからだ。

逆に、モノで自己表現してきた世代ほど、昔のDCブランドの服やブランドバッグを手放したくないと思うだろう。最近になって、断捨離やミニマリストが「手放せ」と言うから、渋々処分したという人も多いのではないか。個性を表現してきた服や自分を成長させてくれたブランドバッグはそんなに簡単に手放せるものではない。それはある意味、かつての私の分身でもあるからだ。

しかし、服やバッグが個性や自己表現の道具でなければいくらでも手放せるし、所有にこだわる必要もない。賞味期限切れのものを捨てるのと同じことだ。ただ、そこにはモノを通じた共感とつながりがあるだけなのである。

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