かつては「ユニバレ」という言葉があったほど、ユニクロを堂々と着ることは恥ずかしいとされてきた。だが今やファッション誌でも高く評価されている。甲南女子大学の米澤泉教授は「ユニクロを買うことは、『ていねいなくらし』の実践となった」と指摘する――。

※本稿は、米澤泉『おしゃれ嫌い 私たちがユニクロを選ぶ本当の理由』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

写真=時事通信フォト
再オープン前に報道陣に公開されたユニクロ・ソーホー店。東京で流行しているスタイルを紹介している=2016年9月1日、ニューヨーク

「ユニバレ」「ユニ被り」もはるか昔

ファッション誌がこぞって「ユニクロでよくない?」といい始める前のユニクロはポピュラーな「みんなの服」ではあったが、決して誌面で特集される服ではなかった。なぜならユニクロはどちらかと言えば着ていることを知られたくない服であったからだ。誰もが着ているユニクロを自分も着ているのは恥ずかしい。

そんな「ユニバレ」が「ユニクロでよくない?」になり、今では「ユニクロがよくない?」とまで言われるようになった理由を整理してみよう。

一つ目の理由は、ユニクロが服ではなく、実は「くらし」を売っているからだ。服を通して、「ていねいなくらし」を売っているからこそ、あらゆる人がユニクロを着るようになったのだ。着る人の価値観に寄り添う、究極の服を目指してつくられた「ライフウェア」は服のかたちをしているが、服であることを超えた服である。

「ライフウェア」が提唱する生活をよくする服とは、新たな価値観をつくり、ライフスタイルを示す道具でもある。それは、言うなれば、服のかたちをした「ていねいなくらし」という理念なのだ。だからこそ、私たちは積極的にユニクロに手を伸ばすようになったのである。松浦弥太郎的な「ていねいなくらし」を実践するために、日々の生活をすこやかに回していくためにユニクロは欠かせない。