「服は服に過ぎない」という事実に気付かせた
では次に、ユニクロが正解の服となった平成の30年間で服を着ることはどう変わったのかをもう一度考えてみよう。そこからは、現在の消費のあり方、人々の欲望の在処が見て取れる。
平成の幕開け、すなわち90年代に入った頃は、まだ人々は服を着ることに個性や差異を求めていた。個性的な服、高級ブランドに代表される価格の高い服、そして著名デザイナーが手掛ける服。そこには何か特別なものがあると信じられていたのだ。それは、デザイナーによるメッセージであったり、ブランドという物語であったりしたが、記号的消費に相応しい付加価値はすべて、人に差をつけるために、まとわれていたと言うことができるだろう。
だが、ユニクロは服にかけられていた魔法を解いた。服は個性ではない。服は服にすぎない。服は服装の部品なのだ。着る人の個性は服によって表現するものではない。むしろ、シンプルな服ほど、着る人の個性が見えてくる。フリースやヒートテックを通して、リアルクローズとはそういうものだとユニクロは教えてくれたのであった。
その結果、服を着ることに、個性や差異を求めることはしだいになくなっていった。個性的な服、見たこともないような服や独創的な服はむしろ敬遠され、シンプルでベーシックで着回しが利きそうな普通の服こそ求められるようになった。もう過剰なデザインの服はいらない。ただ、上質で「つくりのいいもの」であればいい。「つくりのいいもの」であれば、人と同じでもかまわない。カシミヤタートルネックセーターが人と違う必要は全くない。
スニーカーブームに潜む「共感」
それは服が差異化の道具ではなく、共感の道具へと変わったことを示している。服を着ることで差異化するのではなく、お互いに共感したい。共感されたい。つながりたい。「インスタ」のハッシュタグでは、「お洒落さんと繋がりたい」(1340万件)、「おしゃれさんと繋がりたい」(1040万件)、「お洒落な人と繋がりたい」(200万件)といったものが圧倒的な支持を集めており(2019年7月現在)、服を中心としたおしゃれによって、つながりが求められていることがわかる。
もちろん、お互いに「いいね」とならなければ、おしゃれさんとはつながれない。親近感を持たれ、共感されることが重要になってくる。現在は、SNSのハッシュタグによって、おしゃれにつながりを求める時代なのだ。
スニーカーがここまでブームになった理由の一つも「共感」にあると思われる。数年前に芸能人がウェディングドレスにスニーカーを合わせて挙式したことが話題になったが、その際にもドレスにスニーカーを合わせた写真が「インスタ」に溢れた。スニーカーが「共感」を引き起こしたのだ。