松岡昌宏。オーディション当時11歳の“ふてぶてしさ”
そして、オーディション本番。ジャニーは最初から自分がジャニー喜多川である、と名乗ることをしません。開始前に自分ひとりで椅子を並べていたり、ジュースを配ったりすることもあるといいます。
「オーディションに来た子は、ボクのこと知らない。『ダサいかっこうして、なんだ、あのおやじ』と思ってる。子どもたちは『いつになったらオーディションやるんだよ』と。『じゃあ、これからオーディションやります』と言うと『えー』って感じ。ジャニーとわかって急に『はい、そうです』。こういう裏表のあるのはだめですよ、子どもだから特に。あとで機嫌とりにきたりする子もいますが、何を考えているのか(※2)」
重要なのは、人を見て態度を変えないこと。例えば、後にTOKIOのメンバーとなる松岡昌宏。オーディション当時11歳の彼は、ふてぶてしいほどにリラックスしていたといいます。しかし松岡は、他の子たちが目の前にいる大人がジャニー喜多川だと気づいた瞬間に、姿勢を正したりする中、態度を全く変えませんでした。それを、ジャニー喜多川は見逃さなかったのです(※3)。
「人を見て、態度を変えるような子は駄目なんです。どこにいても子供は自然じゃなきゃいけない(※3)」
このように、まずはジュニアの選抜の段階で、やる気と人間性をジャッジしているのです。
SMAPになれたのに、なれなかった人
ジュニアになってからも、“やる気”を常に見られています。例えば、櫻井翔の項目でも紹介したような、試験のために少しレッスンを休んでいると、戻ってきたときには立ち位置が後ろに下げられていた、というのはよくある話です。
そのやる気は、デビューできるかどうか、という重要な局面にも関わってきます。
ジュニア時代が長かった、V6の長野博のエピソードです。ある日、ジュニアだった長野のもとに、ジャニーから「スケートボードできない?」と電話がかかってきます。長野は、スケートボードの経験はなかったため、「できない」と答え、電話を切ります。しかし、それから間もなくして、またジャニーから電話がかかってきて、再び聞かれます。
「スケートボードできない?」
「だからできないよ!」と長野が答えると「ああ、そう」と言い、ジャニーは電話を切りました。長野は、なんで二度電話がかかってきたのだろう、ジャニーさんはボケたのかな、と疑問に思っていたといいます(※4)。
しかし、ジャニーは決してボケていたわけではありません。このときに作ったのが、「スケートボーイズ」。SMAPの前身となるグループです。