すなわち、この「宇宙人ジョーンズ」についていえば、もはや「特定の商品の宣伝と販売という明確な意図/動機」は消えています。13年も続けていれば、日本中のかなりの数の人が、缶コーヒーのBOSSを知っています。というよりも、BOSS自体、ロングセラー商品であり、わざわざ「不特定多数に向かって発信する」必要はありません。にもかかわらず、このCMは続いています。

目新しさがなく、ゆるゆると続いていく

広告ベストテンに選ばれ、休刊後10年を経てもなお続いているCMは、これだけではありません。

たとえば、ソフトバンクの「白戸家の人々」もまた、平成19年(2007年)以来、続いています。同年の広告ベストテンには9位、翌年の最終年には3位に入っています。白い犬扮するお父さんに、北大路欣也が声を担当しています。こういった説明が不要なほど、広く知られています。

「宇宙人ジョーンズ」同様、「白戸家の人々」もまた、同じCMを続ける必要はありません。目新しさはないどころか、逆に、惰性によるゆるみやたるみの方が目立つからです。それでもやはり、このCMは続いています。そして、この続いている背景に『広告批評』の終わりが関係しているのではないか、というのが結論です。

作品として鑑賞し、論じる存在が消えた

「平成」の中期において、もはや「昭和」ではない、ことだけではなく、「平成」の目新しさが失われた点を、このランキングは示唆しています。

サントリーのCMが『広告批評』に高く評価され続けた「平成」とは、すなわち、「昭和」との違いにとどまらず、もはや目新しいことばを必要としなくなった時代でした。その象徴的なあらわれとして、サントリーそのもののCMが「平成」の中盤から変化を失った点をあげました。

そしてそれだけではなく、ソフトバンクの白戸家も、さらには、同業他社であるauの三太郎もまた、ゆるさをいとわず続いているところにも、その変化のなさがあらわれています。

もう、「平成」のCMは、新しさや意外性を求めてはいません。それよりも、十年一日どころか13年も続いてもなお、同じCMを流し続ける定番をこそ望んでいます。

その裏側には、『広告批評』という形で、広告を褒めたり、けなしたり、つまりは論じたりするメディアの喪失があります。広告のどこがすぐれていて、どこが足りないのか。それを作品としてとらえ、時代の空気とともに論じるメディアは、どこにもありません。

あるのは、SNSをはじめとした、多くの場合は匿名で、気楽で薄いことばを無神経に投げつける、大衆の気分だけです。