※本稿は、内田樹『沈む祖国を救うには』(マガジンハウス新書)の一部を再編集したものです。
「教えたいこと」があるから教育活動を始めた
神戸女学院は、明治8年創建なので、もうすぐ150年になります。アメリカからやってきたタルカットとダッドレーという二人の女性宣教師が神戸で開校した小さい塾から始まりました。
この二人の宣教師はサンフランシスコから船に乗って太平洋を横断して日本に来たわけですが、出航時点においては、まだ日本ではキリシタン禁制の高札が掲げられていました。「社会のニーズ」どころではありません。「来るな」と言われている土地に来たのです。
それはこの二人の宣教師には、どうしても教えたいことがあったからです。伝えたいことがあったからです。そうやって神戸で小さい学塾を始めた。そこに少しずつ、惹きつけられるようにして子どもたちが集まってきて、だんだん大きな学校になり、150年が経っていました。建学の時点において、日本社会のどこにも「こういうような教育をしてください」というニーズはなかった。それでも教育活動を始めた。学校教育というのは本来そういうものなのです。市場の需要に応えて、教育商品を提供したわけではなく、教えたいことがあるから教えに来たところから始まるのです。
市場のニーズに合わせるのが教育ではない
日本の大学は75%が私学ですが、私学は「教えたいこと」がまずあって創建されました。「どこもやっていない教育」をしたかったからです。他にやっているなら、別に身銭を切って新しい学校を建てる必要はありません。まず建学者の強い意志があり、それが学校を創り出した。
しかし、90年代から、もう教育者たち自身がそういう考え方をしなくなりました。その時期から教育を語るときにビジネス用語が頻用されるようになりました。「マーケットのニーズに対応した教育プログラム」とか「保護者や生徒に好感されるカリキュラムの展開」とかいう言葉を教授会でぺらぺらと言い出す人が出てきた。さらには「質保証」とか「工程管理」といった工学の用語で教育を語る人まで出てきた。
そのとき僕ははげしい違和感を覚えました。それは違うだろうと思ったのです。市場のニーズに合わせて教育するのではなくて、「教えたいこと」を教えるのが私学なんじゃないかと思ったからです。