福澤諭吉の『福翁自伝』に「社会的なニーズ」への配慮などない

例えば、慶應義塾は「私学の雄」ですが、福澤諭吉の『福翁自伝』を読むと、「社会的なニーズ」への配慮などかけらほどもないことがわかります。彰義隊の戦争のさなかに、江戸中が火の海になるかというときにも福沢諭吉は世の中にきっぱりと背を向けて英書を読んで経済学の講義をしている。徳川時代の藩校はもはや教育機関として機能していないし、明治政府にはまだ学校をつくる余裕がない。いやしくも今の日本を見回して、まともな高等教育をしているのはわが慶應義塾ただ一つである。そう福澤は豪語するのです。人々が右往左往している中で、われわれはひとり悠々と学問を講じている。社会の目先のありようとまったく関係ないことをしている。僕はこの福澤の非社会性こそが私学の基本にあるべきだと思います。

福沢は若い頃に大阪の適塾にいて、ひたすらオランダ語の文献を読んでいました。哲学書を読み、工学や化学の書物を読み、医学や薬学の書物を読み、とにかくオランダ語で書かれている文献を片っ端から読んだ。もちろん、オランダ由来の知識や技術についての「ニーズ」があるから読んでいるわけではありません。意地で読んでいる。「こんなにややこしいもの」を読んでいるのは日本広しといえども、われわれしかいない。そういう自尊心から読んでいる。

図書館の本
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「一体何をやっているんだ」と言われる教育の気概

それはエリート意識というのとはちょっと違います。エリート意識というのは、すでに支配階級に席がある人間が持つものだからです。適塾の貧乏書生たちは権力とは無縁です。時流にきっぱり背を向けて、金にもならないし、出世にも結び付かない学問をしている。そんな変なことをしている俺たちは「ただものではないぞ」という苦しまぎれのプライドだけを支えに貧しさや飢えに耐えて学問をしている。