ゴールに近づいたら、あえて梯子を外せ

今の世の中、実践主義の考え方なしに動けませんから、善いものと悪いものを分けてしまうのは、ある意味で仕方がないことです。多くのビジネスマンは、答えのない事柄を嫌がりますし、仏教的な「あるがままを受け入れろ」という思想を呑み込むのは難しいかもしれません。

米ヴァージニア大学ダーデンビジネススクールのEMBA(エグゼクティブ経営学修士)の学生たち。川上氏は、麺をすする音への好悪の感情などを引き合いに、英語で禅を手ほどきした。

ただ、私の印象では、中間管理職のさらに上の立場の、経営に携わる人たちは、意外と「善いでも悪いでもない価値とは何だろう」という全体を俯瞰する、哲学的なアプローチを好むような気がします。

一般の人は、簡単明瞭のほうがいいし、わかりやすいものは正しいに決まっていて、それをすべてに当てはめることができるはずだと思い込んでいますが、これまでお会いした経営者の方々の多くは、逆に「自分が知っていると思うこと」で満足せず、「簡単な答えほど疑え」と考えていますね。

禅で大切なのはまず信仰心、2つ目は精進ですが、3つ目は疑問なんですよ。「わかったと思った段階で、すぐにそれに疑問を持て」という教えです。「これが絶対だ」と思った段階で、固定観念に執われてしまっているんですね。禅の修行も積み重ねていくと、ゴールに近づくイメージが頭に浮かぶんですが、そう感じたときは、あえて梯子を外しなさいという教えがあるんです。禅に興味を持つ経営者は、それが平気でできる人。自分がこうだと思ってガーッて突っ走る。でも途中でガッと崩すんですよ。それができる人たちが、ハマるというよりも、その興味の範囲の1つに禅があるという感じです。

「仕事で嫌なことが起こったとき、気持ちを切り替えて前向きになれるメソッドはありませんか」という質問をよく受けます。正直いうと、世の中がカオスであることは当たり前なんだから、「そんなのはない」というのが答え。瞑想の効果やメリットについても同様で、何か楽になる方法があると思うから余計にしんどくなる。何でも単純なメソッドにしてしまうことにこそ問題があると思います。著名人がやっているメソッドを行ってもその人になれるわけではないし、苦しみから解放されるわけでもない。そもそも完全な人間になれるわけではないんですよ。