「無我」の境地に立つことが大切

これからの多様性の時代を生きていくには、「無我」の境地に立つことが大切です。完全無欠の境地に立てという意味ではなく、むしろその逆。善いも悪いも存在せず、自分自身も存在しない。人間はすべてのものを把握できはしないし、実情というのは人間の理解を超えるものなので、どんなに努力をして理論を学んだとしても、人間には限界がある。それを知っておくということです。

以前お会いしたチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相は、

「私の仕事がストレスフルだってことは最初からわかっていました。何せ亡命政府なんですから。中国には狙われるし、他の国は中国を気にしてまともに応対してくれない。こうしないとダメだ、ああしないとダメだと思っていたら、身も心も持たない。だから何か大変なことが起こっても、それは当たり前のことだと思って対応していかなければならない」と、スパッと言われたんです。これは本当に大変なことを経験している人だからこそ、口にできる真理ですよね。

人生はいろんなことがあって当たり前、というのが仏教の教え。だからその当たり前に起きる辛いことを避けようとするのか、それをちゃんと受け止めることができるのか。悟りというのは解決策がわかることではなく、ある程度「こういうものなんだ」とカオスを受け止めること。それには経験が必要です。努力するところは精一杯頑張って、あとは運を天に任せる。そんな大らかな気持ちも大切なんです。

川上全龍
臨済宗妙心寺派本山塔頭 春光院 副住職
2004年、米国アリゾナ州立大学・宗教学科卒業。ビジネススクールの学生、グローバル企業のCEOらに禅を指導。LGBT問題にも取り組む。著書に『世界中のトップエリートが集う禅の教室』(KADOKAWA)。
 
(構成=篠原克周 撮影=福森クニヒロ 写真=Getty Images)
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