▼室町憲寿(ゼンマスター 臨済宗老師)
“我執”に執われた自分を、殺し切る
13歳から坐禅に傾倒した私は46歳のとき、臨済宗の卓洲・隠山という2つの流れの双方で老師(臨済宗の最高位)を授かったのですが、その修行の途上だった30年近く前、ドナルド・トランプ氏と2度会う機会がありました。当時40代のトランプは今よりずっと痩せてハンサムでね、暴言王なんてとんでもない、実に紳士的な男で、成功者が持つオーラとはこういうものかと感じ入りました。
当時の私は30代前半。米国でステーキハウスを展開するベニハナ・オブ・トーキョー創業者・ロッキー青木氏(故人)の秘書でした。アメリカンドリームを体現し、「アメリカでもっとも有名な日本人」として米著名誌の表紙を飾ったロッキーに、トランプが声をかけてきたんです。
ロッキーと2人でニューヨーク5番街のトランプタワーの、たぶん最上階のオフィスを訪問。ティファニーとセントラルパークを一望できる窓外の風景に、ロッキーは「エクセレント!」を連発していました。
2人は端から意気投合。次にロッキーがトランプをベニハナの特別室に招いた際も、ステーキを平らげながらビジネスから女性の話題まで、話は尽きませんでした。ロッキーが「ケニー(室町氏の呼び名)、何か聞きたいことはあるか?」と水を向けてくれたので、私が「禅についてどう思いますか?」と問うと、トランプは「禅は好きだよ」「日本人にしてはいい哲学だ」とも(苦笑)。そして「自分を無にできるのがいい」と。“無”を意味する“void”という語が耳に残っています。
voidを直訳すれば「空っぽ」ですが、emptyやnothingより意味が強い。トランプは「自分をvoidしていないと勝てない。“我”があるとビジネスは成功しない。自分は生涯voidしていく」と強調、ロッキーも“自分をvoidする”という表現にうなずき、「何かに執われると、それがもとで負けてしまうんだ」と呟きました。