「にがり」とは、豆乳を固めるための添加物です。豆腐づくりには、伝統的ににがりが使われていました。しかし戦時中、ジュラルミンの原料となるにがりは軍需物資として徴収され、その代用として「すまし粉」が使われるようになりました。にがりと比べて安価で簡単に豆腐をつくることができます。終戦後も、すまし粉を使った豆腐がそのままつくり続けられていました。

しかし、実のところ美味しくありませんでした。石川氏は「昔の豆腐は美味しかった」という祖父の口癖を思い出します。父親としてやるべきことは、昔ながらの安全で美味しい豆腐を、今の技術でつくることでした。

石川氏は、国産大豆とにがりを使った安全で本物の豆腐の開発に取り組みます。にがりを入れるタイミング、量、混ぜ方など、試行錯誤の連続です。結局、商品化に1年以上かかりました。

商品は完成しましたが、まったく売れません。それでも徐々に近所にファンを増やしていきます。しばらくして、地元のスーパーで自然食という位置づけで取り扱ってくれるようになり、その後、地元生協との取引が始まります。

勘・経験からデータへ、豆腐を“サイエンス”

当時は食の安心・安全という意識がそれほど高くない時代です。世の中は安売り競争が蔓延するデフレの真っただ中。それでも、「子どもに安心して食べさせることができる豆腐」にこだわる――これが同社の中核の価値観になります。環境の逆風が好機に変わったのです。同社のこだわりの豆腐は、逆風が吹くほど売れるようになりました。石川氏は「旨い、安全、安心」という社訓を掲げます。

いしかわの豆腐は試行錯誤の末に生まれた。写真は工場内の製造工程の一部。木綿豆腐を凝固(写真上)、パッケージを一つ一つ検品(同中・下)。

国産大豆とにがりを材料とした豆腐は各方面から注目され、売り上げは急上昇します。それでも石川氏は満足しません。素材の味にこだわった豆腐ですが、甘みとコクの面で物足りなさを感じていました。

常連客から、「うちの子は豆腐を食べてくれないんです」と言われたことも次のステップへ後押しします。理由は大豆特有のにおいにありました。そこから石川氏は、子どもが喜んで食べてくれる豆腐づくりに取りかかります。

「そんなとき、木綿豆腐をつくる過程で出るお湯の中に、オリゴ糖が含まれているという記事を見つけました。早速、その技術を開発したエンジニアに話を伺いました。オリゴ糖には、大豆の独特なにおいをマスキングする効果がありました。そこで、大豆オリゴ糖に近い組成を持ったオリゴ糖と大豆から抽出した油を加えれば、子どもたちが美味しいと言ってくれる豆腐がつくれる、と閃いたんです」(石川氏)

水と油を均一に豆腐に乳化分散させ、安定して凝固させることは、簡単ではありません。実験を繰り返し、これまで勘と経験に頼っていたものを、データに基づいたモノづくりへ変えました。