たとえば会社のパーティーのスピーチでは、秘書に頼んで日本語のスピーチ原稿をすべてタイ語に翻訳してもらいました。タイ文字だと読めないので発音記号に置き換えてもらったのですが、そのまま読むと文の切れ目がわからないので、本番前に繰り返して練習。おかげで一般社員にも好評でした。

宗教の知識や言葉は、仕事で直接的に求められていたわけではありません。しかし、文化を学んだり、同じ言葉を使ったりすることで、少なくともこちらが相手を理解しようと努めていることが伝わっていく。海外の人と仕事をするときは、まずその姿勢を示すことが大切ではないでしょうか。

デロンギ会長の心を動かしたもの

タイでは文化や言葉を知ることで相手を理解しようとしましたが、逆に海外の方に私たちのことを理解してもらうために文化を活用したこともあります。

赴任して半年は社員の声をひたすら聞いた●タイの現地法人社長として赴任した最初の半年は、自分の意見は抑え、ひたすら現地の社員からヒアリングを行った。そこで現地の言葉・文化の理解が求められ、学んだという。

三菱電機は、15年にイタリアの空調メーカー、デルクリマ(現 三菱電機ハイドロニクス アンド アイティー クーリングシステムズ)を買収しました。買収は投資顧問会社が間に入って入札を経て決まります。その意味で、買収金額が重要であることは間違いありません。

しかし、買収後を考えると、「たくさんお金を出せばいい」という考え方ではうまくいかない。特にデルクリマが拠点を置く北イタリアは、南イタリアの明るくおおらかな土地柄と違って、人々が真面目で勤勉。従業員が「お金にものを言わせて会社を買った」と思ったら、彼らのモチベーションは上がらないでしょう。

買収を成功させるには、私たちが札束で頬を叩くような会社ではないことを理解してもらわなくてはいけません。世間では「三菱電機はIT系企業に比べて野暮ったくて、派手さがない」と評されることも多いですが、真面目にコツコツと一つ一つの事業に取り組んできました。そうした実直さが伝われば、買収先の不安は軽減されると考えました。

問題は、その伝え方です。いきなり三菱電機の理念を伝えても、おそらくイタリアの人たちにはピンとこないでしょう。

そこで考えたのが、日本文化の紹介です。和を尊び、武士道を重んじる日本の価値観は、私たちの社風と相通じるところがあります。そこで、買収前の最初のプレゼンテーションで、茶道や華道、壺や刀剣、お城やお寺などの日本文化を紹介。「日本はこういう価値観を持つ国で、私たちも技術や信頼性を重んじています」とアピールしたのです。

イタリアと日本は、美的センスが近いのかもしれません。日本文化を紹介すると、デルクリマの親会社であるデロンギのオーナー会長ジュゼッペ・デロンギ氏がとても共感してくれて、来日が決まりました。日本では私たちの研究施設や空調の工場を視察してもらいましたが、「デロンギはお客様の信頼を裏切らない製品づくりをしてきた。三菱電機も同じだとわかった」と言ってくれた。買収は最終的に入札で決まりましたが、トップの共感も後押しになったことでしょう。

杉山武史(すぎやま・たけし)
三菱電機社長
1956年、岐阜県生まれ。県立岐阜高校、名古屋大学工学部を卒業後、79年三菱電機に入社。自動車機器の設計、携帯電話事業などに携わり、2014年常務執行役、17年副社長、18年4月より現職。座右の銘は『菜根譚』に登場する「人心一真」。
(構成=村上 敬 撮影=市来朋久)
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