日本の電機大手が淘汰の波に洗われている。東芝がメモリ事業や家電事業を売却し、シャープは台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業の傘下。そんな厳しい経営環境でしたたかに好業績を続けているのが三菱電機だ。売上高5兆円以上、営業利益率8%以上の中期目標は達成目前まできている。

──日本の電機大手はこの20年、横並びの競争で大きく体力を失った。三菱電機はFAシステムや自動車部品という他社と違う領域にうまく経営資源をシフトした。

三菱電機社長 杉山武史氏

【杉山】2001年度にITバブルの崩壊で赤字に転落し、野間口有さんが社長に就任してから「強い事業をより強く」という経営トップのメッセージが現場に浸透していった。私はその頃、姫路製作所で自動車の電動式のパワーステアリングを担当していた。

私の前任の柵山正樹さんまで5人の社長が4年ずつバトンを繋いで、それぞれの時代に合わせた選択と集中をやってきた。

──経営者としての転機は。

【杉山】2つある。1つは現地法人の社長としてタイに4年間赴任したこと。それまで24年間、姫路製作所にいたが、モノづくりが専門で、モノを売って得た利益をどう再配分するかなど、考えたこともなかった。文化が異なる人たちと力を合わせる方法も学んだ。

──もう1つは。

【杉山】タイの赴任を終えて、古巣の自動車部門に戻るものだと思っていたら、携帯電話の製作所の責任者になった。完全な落下傘で、水戸黄門には助さん格さんがいたが、私は独りぼっち。はじめの半年は従業員やお客様の話を傾聴することや自分のメッセージを伝えることに徹し、ようやく組織変革に着手しはじめたときに、経営陣は携帯電話事業からの撤退を決断した。

──現場は納得しない。

【杉山】私も最初は納得できなかった。我々には最先端の技術があり、まだ戦える、と。しかし当時社長の下村節宏さんの「従業員を大切にしたい」という一言で考え方が変わった。グローバルでは勝ち目のない携帯電話事業に携わっている従業員は、本当に誇りを持って働けているのか。もっと輝ける場所があるのではないか。そう考えて、社内での人事のマッチングをものすごく丁寧にやった。数人のチームにして「彼らはこんな技術を持っている」と他の部署に売り込み、必要とされる部署に移ってもらった。事業は切っても人は切らないのが三菱電機だ。

今、当社には8つの主力事業があるが、4年後もその8つが強い保証はない。自社技術だけでは戦えないところは他社とアライアンスを組めばいい。(イタリアの空調大手)デルクリマのような大型M&Aは今後もありうるし、現場は自分たちの事業を自己変革してほしい。

▼社長への質問
1 出身高校
県立岐阜高校
2 長く在籍した部門
姫路製作所
3 最近読んだ本
『第3の超景気』
4 座右の銘
人心一真
5 趣味
ゴルフ、ジム、観劇
杉山武史(すぎやま・たけし)
三菱電機社長
1956年、岐阜県生まれ。79年、名古屋大学工学部卒業後、三菱電機入社。2014年常務執行役、リビング・デジタルメディア事業本部長、16年専務執行役、17年執行役副社長。18年4月より現職。
(構成=大西康之 撮影=的野弘路)
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