日本人は「情報」も含めて食べている

日本は鎖国の経験も長かったし、島国という地理的条件もあって、海外からの色んな情報を常に強く欲している傾向があるように思えます。だから情報文化が発達するのと同じで、食べ物も情報文化がつないで生まれた一つの多様性なんじゃないですか。「世界の各地を訪れることは難しいけど、向こうから入って来るものはいただくよ」みたいな感覚はあるんじゃないですかね。

――日本人は料理より、情報そのものを味わっているように見えます。

確かに、「みんながおいしい」と言っている時点で、実際に食べる前から自分の中の「おいしい」が2割ぐらい増していると思いますね。あとの8割は周りの雰囲気だったり、一緒に食べている仲間だったり、そして実際の味覚、という配分になるんでしょうかね。

――他人の味覚を信用する傾向があるのかもしれません。

そこはすごく日本人らしいなと。イタリア人はそれがないですね。他者が言っていることを単純に信じたり、比較したりする傾向が日本人ほど強くないですから。「うちはうち」というのがあって、その考え方はもちろん彼らの生き方全てに反映されている。

撮影=遠藤素子

シャンパンなんかも「世界では極上の酒って言われるけど、正直そんなに美味いとは思えないよな、うちの地域の発泡酒のほうが美味いよな」などと言う人が普通にゴロゴロいる。そこが、長いものに巻かれがちな日本との分かりやすい違いかもしれません。

日本は、色んな国の料理の味に対してこれだけ免疫がついているわけだから、この味覚の外交力が他のメンタルにも生かされれば、日本であろうと世界であろうと、偏見のない多様で奥行きのある生き方も可能になると思うんですけどね。

いろいろ食べてみた結果「どっちもあっていい」

――日本とイタリアの食文化はどちらに共感できますか。

どっちも共感していますよ。保守的な人が「絶対これおいしいよ!」と思っているものも知りたければ、チャレンジャーな人が薦める新しい食べ物ももちろん知りたい。私は、日本に来るたびに新しいお菓子や新製品が発売されたらひとまず全部買って試します(笑)。食べたことのないものを食べてみたい。

地域が変われば、それぞれの地域性があるのは当たり前。そこに住む人たちが、様々な歴史や経験を経て最終的に一番バランスのとれるやり方をしているのが地域性というものだと思います。だから、私みたいに何でも新しいものに飛びつけばいいのかというとそういうことでもないし。それぞれの地域、社会性、民族に合った食文化は、それはそれでしっかり向き合いたい。

ヤマザキマリ『パスタぎらい』(新潮社)

――でも、結局1番好きなのは日本食なんですね。

一番という表現が適切かどうか分かりませんが、いざという時に1番食べたくなるのは、日本の食べ物が多い。でもそれは、寿司とか天ぷらとかオーソドックスなものばかりじゃなくて、例えばラーメンだったりお好み焼きだったり、ケチャップの掛かったオムライスだったりする。日本食って、範囲が異常に広いですから!

それと、年をとればとるほど、やはり胃袋の自己主張に耳を傾けるようになってきますからね。すると、やはりさっぱり消化しやすいものを選ぶ比率が増えてきています。水茄子が食べたいとか冷奴がいいとか……さっぱりだろうとこってりだろうと、ひとまず毎日が日本食でも飽きはしませんね。それは本当です。

逆に、夫はどんどんイタリア化してきていますよ。日々、自家製のトマトソースをパスタにかけて美味しそうに食べていますけど、それを私にも食べろと強制はしてこない。もうお互いに食べたくないものを我慢して食べるのは嫌だから、それぞれの味覚の欲するものを食べようと。

私だってイタリア料理は食べたくなれば食べますし、夫も、私が隣で美味しそうに味噌汁をすすっていれば「自分も欲しい」と言ったりしますが、そこはまあ臨機応変にやっています(笑)

ヤマザキマリ
マンガ家
1967年生まれ。17歳でフィレンツェに留学。97年、マンガ家デビュー。2010年、『テルマエ・ロマエ』(エンターブレイン)で第3回マンガ大賞などを受賞。17年、イタリア共和国星勲章コメンダトーレ受章。著書は『プリニウス』(とり・みきと共著、新潮社)、『ヴィオラ母さん』(文藝春秋)など。
(構成=内藤 慧(プレジデントオンライン編集部) 撮影=遠藤素子)
関連記事
悩みの9割は「うるせぇバカ」で解消する
日米歯科技術は"メジャーと高校野球"の差
芸人ヒロシ「ソロキャンプ」に夢中なワケ
「グレープフルーツ×薬」は要注意なワケ
「マウンティング」のダサさに早く気づけ