倉山氏の主張で思い出す「文楽を守れ!」騒動

倉山氏の主張は典型的な(1)の皇統絶対重視の立場。というよりも、もはや(5)の、そもそも国民の敬慕の念など考える必要はないという立場だと思う。皇統最重視の考えから、国民の敬慕の念など考慮する必要もなく、そうであれば国民の敬慕の念を醸成する天皇並びに皇室の行為(態度振る舞い)・努力も不要だという考え方の典型だ。こういう考えも1つの考え方として筋は通っている。

しかし、そのような立場を貫くと、令和以後に天皇制というものが「よりよく」続いていくためにはどうすればいいのかという議論は全くしなくなる。頭の中で抽象論だけを展開するので、自分の立場を貫くと現実にどのような弊害が生じるのかの予測ができなくなるし、そもそもそんな弊害など気にするな、と割り切っているのかもしれない。

倉山氏の考えを突き詰めると、男系男子の皇統さえ守られれば、皇室に国民が敬慕の念を抱かなくなっても、そして天皇制が国民に支えられなくなってもそれでいいという考えにつながる。この考えは天皇や皇室の人間性への考慮もしなくなる。僕はそのような立場には立たない。やはり、この日本の国における誇りでもある天皇制は、国民の敬慕の対象であり続け、「よりよく」続いて欲しいと願う立場だ。

倉山氏のような主張を聞くと、僕が知事・市長時代、大阪において文楽補助金改革を行っていた時に文楽を守れ! と叫び続けていた人たちのことを思い出す。

文楽は確かに日本の伝統文化の象徴である。しかし近年、観客数も減ってきており、行政の補助がなければ存続できない状況に陥った。インテリたちは口を開けば文楽を守れ! という。しかしなぜ観客が増えないのかについての考察はしない。確かに、人形遣いや太夫の技術には目を見張るものがある。しかしそれらが現代社会における娯楽のニーズに合致していない。ゆえに、現代社会にマッチした演出を施した三谷幸喜さんの文楽などは、連日満員御礼の状態だった。同じ伝統文化である歌舞伎も、様々な演出を施していまだに観客が溢れかえっている。