相対的な論理としてのエフェクチュエーション

エフェクチュエーションは、このような予測の困難な環境のなかでの合理性が高い。しかし講演などの機会に、以上のような紹介すると、次のような質問をよく受ける。

「それは個人起業家の行動であって、相応の規模を求められる大企業の事業には不向きなのではないか?」

「無理のない範囲での実験的な行動を繰り返す」といわれれば、多くの人が感じるに違いない疑問である。たしかにこうした行動をとれば、誰もがクラウドワークスのような成長を果たすことができるわけではない。

サラスバシ氏は次のように述べている。

「『許容可能な損失』の推定は……起業家ごとに異なり、また同じ起業家でも……どのようなライフステージ……にいるかによって変わってくる」(S.サラスバシ『エフェクチュエーション』碩学舎、2015年、p.105~106)。

つまり、エフェクチュエーションが示しているのは相対的な論理なのであり、どこまでの損失が許容可能で、どこまでが無理のない範囲かは、誰が起業に挑むかしだいなのである。

群を抜く成長を果たしたクラウドワークスも、吉田氏の行動を振り返れば、やはりエフェクチュエーションの論理に沿った行動で事業を進めている。ではなぜ、クラウドワークスの事業は、こぢんまりとした規模で足踏みせずに、一気に拡大したのか。

そこで重要だったのは、エフェクチュエーションの論理と掛け合わされたのが、吉田氏の経験や人脈だったことであり、その時々においてこの掛け合わせのために、吉田氏が自身の経験や人脈から何を引き出していたかである。

起業にあたっては、誰が起業を行うかによって、利用できる手持ちの鳥も、転用できる失敗も、そして許容可能な損失の範囲も異なる。このことを理解すれば、起業にあたって目を向けなければならない、ひとつのポイントが見えてくる。

起業家は、「自分は何者か」を見つめ直さなければならない。エフェクチュエーションを活用する際には、自身を振り返り、そこから何を引き出せるかを見据えることが出発点となる。この一人ひとり、あるいはプロジェクトごとに異なる出発点は、起業を相対的な問題とし、その先に広がる事業の規模もスピードも異なっていくことを見落とさないようにしたい。吉田氏とクラウドワークスについていえば、彼はそれまでの挫折を経て、起業につながる各種のリソースを蓄積していた。同氏の事業を成長へと導くことへの強い執着も、そのひとつである。

しかし誰もがそのようなリソースをもつわけではない。それがないのであれば、「自分は何者か」を見据えて、そのもとでの前進を、向かい風にめげずに続けていけばよい。エフェクチュエーションは、その歩みを導く理論である。

栗木 契(くりき・けい)
神戸大学大学院経営学研究科教授
1966年、米・フィラデルフィア生まれ。97年神戸大学大学院経営学研究科博士課程修了。博士(商学)。2012年より神戸大学大学院経営学研究科教授。専門はマーケティング戦略。著書に『明日は、ビジョンで拓かれる』『マーケティング・リフレーミング』(ともに共編著)、『デジタル・ワークシフト』、『マーケティング・コンセプトを問い直す』、などがある。
(画像=クラウドワークス)
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