「性的な関係」は彼らの関係の一部にすぎない

先に述べたように、批判者たちは、所有者は、セックス・ロボットやドールを性的欲望のはけ口として暴力的かつ抑圧的に扱うはずだから、それが現実の他者との関係も悪化させる要因になると考えていた。しかし、この調査の成果は、そうした想定が必ずしも正しいとは限らないことを示唆している。

所有者たちは、セックス・ロボットやドールを単なる性的な対象と見てはおらず、性的な関係は彼らの関係の一部にすぎないようなのだ。調査を主導した研究者たちは、むしろ、彼らの関係は、「愛情」や「仲間意識」によって特徴づけられており、所有者の孤独を癒やすことはあっても、対人関係や他者への共感を必然的に破壊するというものではないと述べている。

この調査でさらに興味深いのは、所有者たちが、高機能ロボットと交換することにも、ロボットをさらに機能向上させることにも否定的だったということだ。彼らは、所有するロボットに愛着を感じており、入れ替え不可能な相手と見なしていたわけだ。

「パートナー・ロボット」に性的な機能は必要なのか

このことは、ロボットが人間的な性質を持つための条件が、必ずしもその性能や機能に還元されるわけではないことを示している。もっと言えば、ロボットがより人間らしく感じられ、絆を築く相手として感じられるための条件は、所有者のロボットやドールに対する想像力なのかもしれないのだ。そうだとすれば、想像力を発揮する余地を奪うような、完全に自律的なロボットの開発は、少なくともこの市場においては、歓迎されないかもしれない。

この調査結果は、人間は、ロボットの機能や性能がどうであれ、それらとの間でも親密な関係を築くことができる、ということを示している。そして、セックス・ロボットやドールとの関係が暴力的かつ抑圧的であり、それが現実にも悪影響を及ぼすという想定は、必ずしも妥当ではないということも示している。しかし、だからといって、セックス・ロボットやドールの開発や使用に対する批判がすべて無意味になるわけでは、もちろんない。

セックス・ロボットやドールの表象のされ方や使用の仕方の中には、性暴力として非難されるべきものが確かにある。それを指摘した上で、この調査が示したように、性的な関係と、それを含みつつもそれ以上の親密な関係とを区別することができるとしたら、その時何が問題になるだろうか。

つまり、セックス・ロボットやラブ・ドールという表現ではなく、「パートナー・ロボット」とでも呼べるロボットとの親密な関係の中で、その一部として性的な関係を持つ場合には、どのような問題があるだろうか。これが、先に述べた第二の観点だ。