なぜ人はペットを飼うのか。ロボットベンチャー「GROOVE X」の林要社長は「人類は、本能的に自分を必要としてくれる存在を求めている。この感情は、人類の進化の過程ではぐくまれたものなのだ」という――。

※本稿は、林要『あたたかいテクノロジー』(ライツ社)の第1章「LOVOTの誕生」の一部を再編集したものです。

ペットの前足をそっと握る女性の手元
写真=iStock.com/OlenaKlymenok
※写真はイメージです

“頭”が大きくなったことで子育て期間が長くなった

そもそも、なぜ人類は犬や猫を愛でるようになっていったのでしょうか。

ぼくらは進化の過程で、頭部に特徴を持ちました。「脳の神経細胞が多く、学習能力が高い」という情報処理面での特徴と、それを実現するために必要な「頭のサイズが大きい」という身体面での特徴です。

大きな頭を持つことでむずかしくなることの1つは、出産です。

大きな頭部が狭い産道を通るとき、母体にかかる負担が大きくなります。そこでぼくらは、頭が大きくなる(=脳の発達が完了する)よりも遥か前の段階で「未熟な状態で子どもを産む」という進化を選んだのではないかと言われています。

未成熟な状態で生まれる赤ちゃんは、情報処理面でも身体面でも生き残るうえで大きなハンディがある状態です。結果として、子育ての期間が長いことも人類の特徴になりました。

「面倒を見たい」という本能が備わっている

ほかの進化の方向性として、より成長した状態で産めるように「母体の骨盤を成長させる」という方法もあったように思いますが、巨大な骨盤は直立二足歩行との相性が悪いとも言われており、野生で生き残るには足枷になったのかもしれません。

また、あえて未熟な状態で生まれることで、子どもが成長しながら学ぶことに意味があったのかもしれません。

ともかくぼくらは、群れをつくって暮らし、未熟な子どもを長期間、世話し合いながら生き残る道を選んだのです。そして、「だれかがだれかの世話をすることでコミュニティを維持する」という生存戦略をとってきたので、「面倒をみたい」という本能が、ぼくら人類には少なからず備わっているはずです。

群れとして生き残るために、ぼくらは役割を分担して生きてきました。

狩りの上手な人、石槍を上手に造る人、またそんな人たちの遺伝子を残すためには、子どもを育てるのが得意な人の協力も必要です。得意、不得意があり、そのグラデーションの幅が大きいからこそ役割分担ができて、個体数を増やすことができました。

「承認欲求」は群れで生きるために必要な感情だった

ただ、役割を分担するにも、なにをしたら相手がうれしいか知らないことにはうまくいきません。その学習を促すために活躍したのが「報酬」です。

狩りの上手な人は、獲物を分け与えることによって仲間に喜んでもらうことができます。感謝されたり、称賛されたりしたでしょう。

感謝や称賛は、食べ物のような生きるために身体が必要とする「現物の報酬」ではなく、目に見えない「仮想の報酬」です。しかし、報酬としての機能は同じです。報酬から得られる快感を脳が自然と学び、また仲間に喜んでもらいたいという欲求を生み出します。

こうしてぼくらは、「承認欲求」という本能を獲得したのだと思います。

承認欲求という言葉は、現代ではネガティブな部類の感情と捉えられがちです。けれどもこうしたメカニズムを想像してみると、助け合って生きるために育まれてきた、とても重要な感情だとわかります。むしろ、大なり小なり「感謝や称賛を快感に思う人だけが生き残ってきた」とさえ言えます。