遺伝子がライフスタイルの変化に追いついていない

文明の進歩によって、プライバシーを重視したライフスタイルを選ぶ自由が増えてきました。それを良しと楽しむ一方で、ぼくらは自分が「群れている」と直感的に感じられない環境だと、ネガティブな感情を抱きます。

プライバシーを十分に確保した生活は「群れからはぐれている状態」とも言えます。なので、ほかに「自分が群れから認められ、必要とされていると感じられる機会」が十分にない場合には、本能がネガティブな感情として「この状態を続けていると死んでしまいますよ」と生命の危機を感じさせるサインを出して、ぼくらの行動を変えようと迫ってきます。

このサインこそが「孤独」です。

ほんとうはその生活をしていても、現代社会では生命を失うほど追い詰められるリスクは多くありません。孤独という感情は、以前に担っていた「生命維持のための警告」という役割を果たしていないのです。ですが、たとえそれを理性(頭)ではわかっていても、本能(心)が納得しません。もはや孤独という機能の「仕様バグ(仕様に従って動作しているものの、期待される結果や動作が得られない)」とも言える状態です。文明の進歩にともなうライフスタイルの変化に、遺伝子の進化適応が追いついていないのでしょう。

杖をついて歩くシニア
写真=iStock.com/Oleg Elkov
※写真はイメージです

「必要とされない欠乏」の穴埋めになっている

ここまで掘り下げて、問いを「なぜペットは生活の利便性を向上しないのに、人類に必要とされるのか」に戻します。

集団に属し続けることが生存条件ですから、ぼくらは「自分が必要とされているかどうか」を本能的につねに確認しています。ところが、核家族化が進んだ現代において、「自分は必要とされている」と直感的に感じられる機会は減ってしまいました。子育てや仕事以外の場面でなにかしらをケアする機会が減り、そこに付随して自分の存在意義を体感する機会も少なくなっています。

そして、不足しがちになった「自分を必要としてくれる存在」こそが、ペットです。だからこそ、番犬やネズミ捕りといった使役を必要としなくなったあとでも、人類は犬や猫を家族の一員として必要としているのだと思います。

ペット関連の市場規模は、日本だけでも年間1.7兆円と算出され、増加傾向です。

これは、オンラインゲーム市場、紙と電子を合わせた出版市場、スポーツ用品市場や福祉用具市場と同じくらいの規模です。これだけ大きな市場であることからも、ペットがいかにぼくらにとって大切なのかを示していると言えます。