一人暮らしの人は「さみしくて」「かわいそう」なのか。医師の和田秀樹さんは「高齢者の場合、友人がたくさんいる人が幸せで、そうでない人は孤独とは限らない。人間関係から解放されることで、本物の自由が手に入るとも考えられる」という――。

※本稿は、和田秀樹『心が老いない生き方』(ワニブックスPLUS新書)の一部を再編集したものです。

公園のベンチに座っている孤独なシニア老人
写真=iStock.com/Jelena83
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定年を迎えると心を圧迫するものが一気に消える

職場には長い年月、積み重ねてきた人間関係があります。

朝から晩まで続いてきて、しかも上下関係でもありますから心を圧迫してきたのは間違いないことです。

それが定年でいきなり、すべて消えてしまいます。

同時にノルマや責任といったものも消えます。これも心に圧し掛かってきたものでしたから、とてつもない解放感が生まれるはずです。

もちろん働きたい人は働き続けることができます。再雇用でも再就職でも、仕事をするだけなら70代になってもほとんどの人が続けることができます。

でもそこで生まれる人間関係や、ノルマや責任もかつてに比べれば小さなものでしょう。基本、自由になったことには変わりないのです。

ところがそのことに気がつかなかったり、居場所がなくなった心許なさだけに捕まってしまう人がいます。むしろそういう人のほうが多いでしょう。それどころか不自由になったと感じる人さえいます。

身体的な老いが心の老いにつながってしまう

体力が落ちて行動半径が狭くなった。
健診の数値が高めで食事の制限や薬の服用が増えてきた。
耳が遠くなったり視力が衰えて不便が増えてきた。

挙げていけばいくらでも出てきますが、身体的な老いは不自由を感じさせることが多いのです。

するとどうしても、閉じこもって暮らすようになります。少しも自由ではありません。

でもそういうのはすべて身体の不自由です。90代になって本格的な身体の不自由を実感するならともかく、まだ元気な70代のうちに「もう70過ぎたんだな」と老いたことを嘆いて暮らすようになってしまいます。

つまりここでも年齢呪縛、心の老いに捕まってしまうのです。

いままでの自分を束縛してきた組織や人間関係から自由になれたということは、それだけでも解放感に浸っていいことです。大きく背伸びして「さあ、今日から自由だぞ」と喜んでいいはずです。

小さな不自由が増えたとしても、大きな自由が手に入ったのですから、そのことをまず喜ぶこと。それさえできれば、「さあ、これから何をしようか」とワクワクしてきます。これだけでも心の若さを失わずに生きていけるのです。