いまさら友だちの数なんか気にしなくていい

つまり老いたらもう、友だちの数なんかどうでもいいということです。自由に何でも話せて、楽しいつき合いができる友人が一人でも二人でもいるならそれで十分だと考えたほうが、友人の数や交際範囲の広さにこだわるよりはるかに気楽に生きていけるような気がします。

それに高齢になるということは、周囲から友人が一人、また一人と欠けていくということです。自分より年上の人がいなくなり、同世代も欠けていきます。夫婦であってもどちらかに先立たれ、子どもたちとも次第に疎遠になっていきます。

あるいは自分が不自由になって、外出できなくなったり集まりに顔を出せなくなったりもします。望まなくても友人と疎遠になることだってあるのです。

そういうときでも、友人の数やつき合いの広さを自慢する人は孤独感に包まれることになります。「いよいよ一人ぼっちになったなあ」と寂しくなります。でもその「一人ぼっち」と引き換えに初めて本物の自由が手に入ったと思えばいいような気がします。

ビーチで腕を伸ばした楽しい先輩女性のショット
写真=iStock.com/jeffbergen
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拘束し合わない新しい人間関係が生まれる

こう書くとわたし自身、何だか悟りきった人間のように思われそうですが、「そのときはそのとき」という覚悟はできます。孤独は寂しいとわかっていても、いままでに経験したことのない自由の感覚が生まれるだろうなという楽しみもあるからです。

それからまるっきり一人になってもそのままではありません。

いったん周囲の人間関係が消えてしまうということで、新しい友人ができたりいままでなかった場所に新しい人間関係が生まれてきます。先ほど挙げた組織に縛られない仕事やボランティア、自分で考えて生み出す収入の道でも、お互いを拘束しないで張り合いを共有し合う関係が生まれることになります。

とにかく自宅に閉じこもって一人で暮らさない限り、そこに何らかの人間関係は生まれてくるのですから、「一人ぼっち」というのはあり得ません。

むしろ友人の数や人脈の広さを自慢にして、その中だけで生きてきた人のほうが「一人ぼっち」になりがちでしょう。高齢になればどうしても友人の数も人脈も乏しくなってくるからです。

老いればどうせいつかは孤独になります。その孤独がもたらす自由の気楽さを恐れるより、組織や人間関係に縛られない生き方を少しずつ実践していく気持ちになってください。