※本稿は、弘兼憲史『弘兼流 70歳からのゆうゆう人生「老春時代」を愉快に生きる』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。
「愛すべきバカ」の行動は旺盛な好奇心の表れ
「本当に落ち着きがないなあ」
小学生、あるいはそれ以下の幼稚園児などを見ていると、つくづくそう思います。とくに男の子は本当にジッとしていません。
「危ないな。あの柵に上ったりしないよな」
「あの泥んこの中に入ったりしないよな」
「まさか、落っこちてるあのペットボトル、蹴飛ばさないよな」
たまに公園などを散策していて、そう思いながら遊んでいる男の子をちょっと観察してみます。すると十中八九、危惧していた通りのことをします。
私がネーム(漫画の筋書きやセリフ)を作るときに利用するファミリーレストランでも似たような風景に出くわします。
意味もなく卓上のソースに手を伸ばしたり、爪楊枝をテーブルの上にまき散らしたり、とにかく大人にとっては意味不明の所業のオンパレード。親に注意されると、今度は、たとえば靴下を脱ぎはじめる。
「ホント、男ってバカだな」
「同病相憐れむ」ではありませんが、自戒の意味も含めてそう感じることがあります。
自身、男の子の親である方はもちろん、身近に男の子がいる方なら、ほとんどの方が似たような経験をしたことがあるのではないでしょうか。
ただし、この「バカ」には批判や軽蔑の意味はありません。いわば「愛すべきバカ」といった思いが込められています。おそらく、私の子ども時代も似たようなものだったと思います。この「バカ」は、決して悪いことではないのです。
なぜなら、そうした行動はまさに旺盛な好奇心の表れだと思うからです。私は脳科学者ではありませんから、脳のメカニズムのことはわかりません。
けれども、そうした落ち着かない行動は、まだなにも書き込まれていない、真白な状態の脳が刺激を受けた結果のように思えるのです。