老年期の夫婦がお互い幸せに暮らすにはどうすればいいか。漫画家の弘兼憲史さんは「長年連れ添った伴侶と不快な距離感、ギクシャク感を覚えながら一緒に生きていくのは、お互いにハッピーではない。すぐに離婚しなくても『ひとり時間』を愉しく充実させながら、妻とは快適な距離感をいつまでもキープする『別住』という選択肢もある」という――。

※本稿は、弘兼憲史『弘兼流 70歳からのゆうゆう人生「老春時代」を愉快に生きる』(中央公論新社)の一部を再編集したものです。

公園のベンチで公園の屋外でシニアアダルト
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夫婦間の小さな怒りや不満、ストレスに目をつむっていないか

「お前百まで、わしゃ九十九まで」

最近はトンと耳にしなくなりましたが、そんな言葉があります。どちらかというと、夫から妻へのメッセージと思われがちですが、どうもそうではないようです。

この「お前」は、もともとは敬語です。「わしゃ」は「わたくし」であって、妻である「わしゃ」が夫である「お前」に敬意と愛情をもって向けたメッセージというのが正しい解釈のようです。

いずれにせよ、「夫婦が長生きして、死ぬまで仲睦まじく過ごしましょうね」ということのようです。たしかに、相手に対する愛しさが存在し、なんの不満もなく、一緒にいてストレスもなく、機嫌よく生きている夫婦もいるかもしれません。そうであれば、「お前百まで、わしゃ九十九まで」も大いに結構なことです。

けれども私の実感としては、そんな夫婦は、誤解を恐れずにいえば、かなり少ないような気がします。

お互いにさまざまな不満やストレスを抱えつつも、お互いに「ま、いいか」と折り合いをつけるというか、あきらめるというか、そんな気分で夫婦生活を続けているのではないでしょうか。

だからといって別れてしまえば、お互いに不都合も生じます。夫婦によって、依存の形は異なるでしょうが、たとえば妻が専業主婦だったとすれば経済面で困難が生じますし、家事を妻に任せっきりだった夫なら、毎日、右往左往してしまうでしょう。

熟年離婚した場合、世間体も気になります。お互いに別れた場合のスッキリ感を夢想しながらも、しかし、マイナス面を(はかり)にかけて、結婚生活を続けている夫婦も多いことでしょう。小さな怒りや不満、ストレスに目をつむっているといってもいいかもしれません。