「別住」で、ひとり時間をデザインする

また、創作の時間帯やスタイルが異なりますから、一緒にいる時間もかぎられてきます。長年続けてきていますから、無理にそれぞれの創作のスタイルを変えて、時間を共有するようにしてしまえば、お互いの仕事にいい影響はないはずです。

どんな夫婦、どんなカップルでもそうでしょうが、つきあいが長くなれば、多かれ少なかれ、快適とはいえない距離感、ギクシャク感が生じることがあります。それによって「同住」することがお互いのメリットではなく、デメリットになることがあります。

お互いにそう判断して、いまの形になりました。

妻も経済的には自立していますし、私自身も、料理は大好き、洗濯や掃除もまったく苦にならない男ですから、きわめてスムーズに「別住」をはじめられました。また、子どもはすでに自立していますから、子育ても完了しています。

そうしたライフスタイルをはじめると、じつに快適です。

仕事はもちろん、ゴルフ、旅行、親しい友人とのつきあいなど、自分の時間の過ごし方を自由にデザインし、充実させることができます。また、妻と些細なことで言い争ったり、言葉の行き違いで相手を不快にさせたり、逆に不快になったりすることがなくなりました。

一緒にいる時間が少なくなった分、妻の立場、考えていること、主張、感情のあり方などを冷静に考える時間が増えたようにも思います。妻への感謝、リスペクトの気持ちを再確認する機会も増えたように思います。

「経済的に恵まれているからできること」

そんな声も聞こえてきそうです。それを完全否定するつもりはありませんが、「別住」は、それほど経済的に敷居の高いライフスタイルではありません。子どもの教育を終えてしまえば、工夫次第で可能なのではないでしょうか。

夏の晴れた日にテラスで屋外に座っている犬とコーヒーを持つ先輩女性。
写真=iStock.com/Halfpoint
※写真はイメージです

薄れていた妻への愛情が蘇る可能性も

実際、私の知人で自宅近所に小さなアパートを借り、妻や家族に気兼ねなく、趣味の油絵にいそしんでいる人間がいます。また、定年間近のある知人は、シェアハウスに居を移し、セカンドキャリアに備えて社会保険労務士の資格を取るために勉強に余念がありません。

彼らの夫婦間の距離感、ギクシャク感がどうであるかは知る由もありませんが、会って話してみると少なくとも充実した「別住」を実現しているように思えます。

今回のコロナ禍によって、リモートワークが注目され、働き方、暮らし方の可能性が広がりつつあります。職住近接が何かと便利だという考え方に、疑問符がつくようになりました。

これからは、会社からも、これまで住んでいた家からも遠い、家賃の安い場所に「別住」の拠点を置くこともしやすくなるに違いありません。

さらに、仕事においても人の移動を必須としないスタイルが定着しそうです。「別住」の選択肢もどんどん広がるのではないでしょうか。

「ひとり時間」を愉しく充実させながら、妻とは快適な距離感をいつまでもキープする。こういうライフスタイルは「アリ」だと私は強く感じます。もしかすると、薄れていた妻への愛情が蘇るかもしれません。