孤独になるのが不安なのは人間として当たり前

そして、報酬の反対は「罰」です。すると「仮想の罰」という状況も見えてきます。それが「孤独」です。

ぼくらはなぜ寂しくなるのでしょうか。

「孤独」とは神経科学に社会学のアプローチを含ませたことで知られるジョン・T・カシオポの『孤独の科学 人はなぜ寂しくなるのか』という本には、「人間の孤独とは、生きるために必要な機能だ」という趣旨のことが書かれています。

孤独は必要? 孤独が機能? いったい、どういうことなのでしょうか。

集団で生活せずとも、屈強な肉体を持つ男性なら動物を狩って食べてを繰り返し、たった1人で生きていくこともできたかもしれません。しかし、そのような志向を持つ個体は子孫を残すことができません。女性が自分の子を宿して、その子どもが無事に育つために、集団みんなで生き残る選択をとってきた個体の遺伝子だけが生き残りました。

そのプロセスを何世代も経て選択的に残ったのが、現代のぼくらです。つまりぼくらは、少なからず「群れのなかで役割を持っていなければ不安」と感じてしまう本能を宿す遺伝子を持った末裔まつえいだと見なすこともできます。

「幸せ」と「孤独」の存在意義は同じ

そしてその遺伝子は、人類にある特徴をもたらしています。

ポジティブな面としては、認め合っている仲間とであれば「いっしょにいるだけで安心」という「幸せ」、ネガティブな面としては、「仲間がいないと不安」という感情、つまり「孤独」を獲得したことです。

集団から切り離されたり排除されたりして、群れからパージ(放出)された個体は、遺伝子を残すことが困難になります。孤独とは、そのリスクを減らすために備わったもの。これが「人間の孤独とは、生きるために必要な機能だ」という言葉の意味だと言えます。

幸せも孤独も、対極のようで、その存在意義を考えてみると基本的な機能は変わらないように思います。どちらも、ぼくらに生き残りやすい行動をさせるために備わった感情なのでしょう。

ただ、ぼくらは集団生活を営めるよう、数十万年もかけて遺伝子を最適化しながら進化してきたのに、たった数百年ほどでライフスタイルは大きく変わってしまいました。