日本人は「着物」や「町家」の継承を放棄した

これらの現象は、日本の文化や伝統に対する観光客や事業主の無知、という表面的な問題だけではなく、根本に別の要因があります。それはすなわち、当の日本人が自分たちの伝統の着物や、町家のような空間の継承を放棄したということです。

まがい物の着物や逆さの傘は、単純に「デザイン目線」から生まれたものではなくて、「観光客を喜ばせるために、無理に創造した日本」として、ほかならぬ日本人が作ったものなのです。

日常に本物が息づいていれば、まがい物はすぐに見破られ、安っぽいコピーが氾濫することはありません。たとえば着物のレンタルも、京都で長い歴史を持つ呉服店が手がけているものだったなら、着物文化の伝承にきちんとつながったのかもしれません。

しかし、残念ながら現在の日本では、いたるところに「文化の空白」が生じてしまっています。そして空白が広がった結果、それを喜ぶフランケンシュタインが入り込んでしまった、ということなのでしょう。

歴史的な文化や文化財を扱う人たちが、本来の意味合いを忘れて、観光客向けに安っぽいものを提供する流れを英語で「dumbing down」、つまり「稚拙化」と呼びます。

神社の鳥居の前に「ゆるキャラ」がいていいのか

なお日本で稚拙化が引き起こされる原因は、インバウンドの増加だけではありません。

たとえば国や地方自治体、公共機関などが作る「マスコットキャラ」や「ゆるキャラ」。熊本県の「くまモン」の大成功が典型例ですが、今や日本全国どこへ行っても、キャラクターの笑顔に迎えられます。これはインバウンド向けというより、日本人を対象にした観光業の副産物といえるでしょう。

「ゆるキャラ」は駅前や商店街、遊園地といった繁華街で出会えれば、にぎやかで楽しいし、効果もあると思います。しかし歴史的寺院の山門や神聖な神社の鳥居の前、境内、美術品の横にまで「ゆるキャラ」を持ってくるとなれば、稚拙化に歯止めがきかなくなります。

日本での文化の稚拙化は、世界遺産に登録された場所でも、見受けられるようになっています。

京都の二条城ではオリジナルの襖絵を劣化から守るために、複製したものに差し替えて展示・公開しています。京都市のHPによると、襖絵の復元・保存は1972年から「二の丸御殿」で取り組まれています。

室町と江戸時代の襖絵はくすんだ紙の色、金箔に表れた「箔足(継ぎ目を重ねた部分)」、そして岩絵の具と墨の深い色合いによって、神秘的で瞑想的な雰囲気をまとっていることが特徴です。その雰囲気があるからこそ、鑑賞者は美術品が伝えられてきた年月に思いをはせ、深い感興を味わうことができるのです。