京都では冬なのに浴衣を着て歩く観光客が目につく。なぜこんなことになってしまったのか。京都在住の東洋文化研究者アレックス・カー氏とジャーナリストの清野由美氏は「観光客向けに安っぽいものをつくる『稚拙化』は、やり始めると歯止めがきかなくなる」と警鐘を鳴らす――。

※本稿は、アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Tuayai)

「ゾンビ化」「フランケンシュタイン化」する文化

伝統文化を守っていくには、とるべき選択肢が二つあります。

一つは、昔の様式やしきたりを、そのまま守っていくやり方を選ぶことです。たとえば能楽は、この方法によって、数百年前の芸術様式を現代に息づかせています。

ただ、能楽の場合は成功しましたが、昔のままに伝えていくやり方は、時に文化を化石化させ、今を生きる人たちにとって無意味なものにしてしまう恐れがあります。それは、生きているようで実は生きていない、文化の「ゾンビ化」だといえます。

もう一つが、核心をしっかりと押さえながら、時代に合わせて姿・形を柔軟に変化させていく方法です。これは文化の健全な継承の形ですが、核心への理解がなければ、本質とは異なるモンスターを生む方向へと進んでしまう恐れがあります。

そのため、前段の「ゾンビ化」に対し、こちらは「フランケンシュタイン化」といえそうです。

中国の観光開発では、古い町並みを破壊し、そこに映画セットのような「新しくて古い町」を建設する手法がよく見られます。一見すると歴史的な雰囲気がありますが、素材や形、作り方などは本物の中国文化とは、かけ離れたものです。

テーマパークのような「新しくて古い町」を見慣れた観光客は、自国文化であってさえ、本物とまがい物の区別がつかなくなります。これがフランケンシュタイン化の持つ脅威です。

「冬に浴衣」を着て街を歩き回る外国人

京都でもこの数年、町にフランケンシュタイン化が目立つようになりました。その一つが、外国人観光客を相手にした、安価な着物を扱う小売店やレンタルショップの流行です。

そこで扱っている着物は、本来の着物に比べて色や柄が不自然に明るく、派手なものばかり。生地もポリエステル製などの安っぽいもので、日本の伝統を継承して作られたものではありません。

装いにしても、冬に浴衣を着たり、浴衣なのにボリューム感のある華やかな帯と合わせたりと、奇妙で陳腐なケースが多く見られます。本当の着物文化を知らない外国人は、このようなまがい物でも日本の伝統的な衣装だと錯覚し、喜んで着てはそのまま街を歩き回っています。

ホテルや簡易宿所の建設ラッシュの中、京都の建物空間にも、そのようなフランケンシュタイン化が忍びこんでいます。

ある新設のホテルでは、レストランの照明シェードに、逆さにした和傘を取り付けていました。デザイナー目線で見た“和風”の新しい解釈なのかもしれませんが、この光景を見て、知り合いの京都人はぞっとしたそうです。なぜなら京都の一部の地域には、家の中で傘を開くことを不吉な印として忌み嫌う文化が今も伝えられているからです。