でも、「俺ってどう見えてる? 俺のいいとこってどこ?」と聞くのは、誰かを褒めること以上に気恥ずかしいもの。そこで、まずは相手がどう見えているか、どこがいいと僕が感じているかを伝えるのです。それが、褒めるということです。
ただ、僕が女性に対して「美人だね」とか「脚がきれいだね」とか、その人の天性のルックスをそのまま褒めてしまうと、たとえそれが率直な気持ちであったとしても、下心とかセクハラと受け止められてしまう可能性があるので、その人のセンスや工夫を褒めることにしています。「ネイル」や「メガネ」を褒めるのは、その一例です。その僕の褒め言葉の中に、自分の気付いていなかった自分の選球眼の良さや強みを見つけてもらえれば嬉しいとも思います。
そしてたいてい、いや、間違いなく相手は照れて「水代さんだって~」と言ってくれます。特に、普段あまり会話しない人のほうが、意外なことを言ってくれます。こういう人の視点は、本当に貴重です。
さっそく、嫌いな上司を褒めてみませんか。苦手な部下でもいいです。自分とは無関係に感じられる他部署の、顔だけは知っている人でもいいです。すると意外な褒め返しが返ってきて、知らなかった自分の魅力に気付けるはずです。褒めよう褒めようと思って周りを見てみると、いいところばかり見えてくるというオマケもついてきます。
「誰かのために」は頑張れる
まずは、「誰かに頼まれたことに取り組むのがいい」――その理由は、もうひとつあります。
それは、「誰かのために」と思うと、頑張れるからです。
自分のためだけだと、頑張る気持ちは続きません。たとえば料理がそうです。自分だけのための料理は、ついつい手を抜きがちです。でも、家に友達を招いたら? 友達においしいものを食べてもらうため、いつもより張り切って、おいしい料理を作ろうとするはずです。誰かのために、という気持ちはそれほど強いものなのです。
その誰かは、自分から遠ければ遠い人であるほど、頑張れるとも思っています。
たとえば僕は、「僕が欲しいので、1万円をください」とはなかなか言えません。それが自分の活動に必要なお金であっても、です。