レースはよそ見をしない人間が勝つ

私は8歳で陸上を始めてから、あの子より速いとか、あの子に勝った・負けたということばかりを34歳まで繰り返してきた。そのせいもあって、勝ち負けで物事を考える方がすっきりする。リソースの話を勝ち負けの言葉で説明すると、「勝つ必要のないものは負けてもいい」となる。その「負けてもいい」エリアが大きければ大きいほど、リソースが余るので、それを自由に使えるようになる。

為末大『諦める力』(小学館文庫プレジデントセレクト)

余ったリソース、つまり時間で英気を養うのもいいし、何かをやることに集中投下してもいいし、あるいは新しい「勝てる」エリアを探すことに使ってもいい。ただし、負けてはいけないエリアで負けてしまえば自分の価値が目減りする。いったい何を負けないで、何を負けるのか。それを考える方が今やっていることで何が何でも勝とうとするより大事だと考えるようになった。

何かを「敗北エリア」に設定するのは心理的に負荷も大きい。敗北エリアで誰かが輝いているのを見るともやもやする。小さな嫉妬心が芽生える。敗北エリアを拡大するということはこれらを向き合うということにほかならない。他人の輝きを喜べるようになれば本物だが、まずは無視できるようになるだけでも相当にいい。一番無駄な時間は、自分とは関係のない他人に対していろいろ考えることだ。レースはいつもよそ見をしない人間が勝つ。

「敗北エリア」を設定したらいいことづくめだった

私は人に尊重される人間になりたかった。そのために、どのように扱われるかを考え、自分がどう見えているかを考え、それをコントロールするためにかなりの時間を費やしていた。けれども引退間際にはそういった機会が少なくなったこともあり、一旦冷静に見てみるとなんだか膨大な意識と時間を使っていたとはたと気づいてやめることにした。「どう見られるか」を敗北エリアに設定したことになる。それを決めてから頭がぼさぼさでも、毎回服が同じでも、誰かに軽くあしらわれても気にしなくていいようになり、それで随分リソースが解放された。おかげで本を読む時間がかなり増えた。この経験から、庭が小さくて少ない方がいいと学んだ。

敗北エリアを設定する隠れたメリットは、他人にとても協力的になれるということだ。負けたくないエリアに相手が重なって来るとどうしても張り合ったり、守ろうとしたりしてしまう。ところが敗北を設定しているエリアであればいくらでも人に勝ってもらっていい。いや、むしろちょっと手伝えば自分もその勝利に関与できた気分になって心地いい。敗北エリアを設定するようになってから人に張り合うことが少なくなり、協力することが増えた。そうすると仲間が増える。飲み会が楽しくなる。いいことづくめだ。