「平成の終わり」での死刑執行は思考停止ではないか
さらに産経社説は筆を進める。
「地下鉄サリン事件は都心で、一般人に向け化学兵器が使われた世界初の無差別テロとして、世界を震撼させた。そうした異常な集団を生み、残虐な犯罪を防ぐことができなかったのはなぜか。しかも教団の後継団体は今も存続し、一部は教祖への帰依を強めているとされる。現状をみる限り、反省が生かされているとは言い難い」
どうやら、「反省が生かされているとは言い難い」というのが産経社説の一番の主張のようだ。
続けて「教団の解散を目指した破壊活動防止法の適用申請は棄却され、新設した団体規制法は解散命令を出すことさえできない」と指摘し、「国連が採択した国際組織犯罪防止条約の批准を目指して共謀罪法案の提出、廃案を繰り返し、ようやく昨年、テロ等準備罪と名を変え、内容を厳格化させて新設されたばかりだ」と書く。
産経社説の主張にも一理はあるだろうが、法律だけですべてを解決するには無理がある。これでは「政権擁護」と批判されても仕方がない。
野にある新聞社として重要なことは、東京新聞や毎日新聞の社説が訴えているように法務省の対応など不透明な部分を明らかにし、死刑制度の問題点を議論するよう求めることだと思う。「平成の終わり」という理由で死刑をまとめて執行するというのは、思考停止ではないだろうか。