「政府の手で報告書作成を」と毎日

次に毎日新聞の社説を紹介したい。

冒頭部分で「刑の執行で事件を風化させてはならない。一宗教団体が国家転覆をもくろみ、サリンを使った化学テロを実行した。なぜ、これほど大きなテロが企てられ実行されたのか。その疑問は完全には解消されていない」と指摘した後、オウム事件の未解明部分に触れていく。

「教団に対する捜査を指揮していた警察庁長官の銃撃事件は、教団信徒だった元巡査長らが逮捕されたが、不起訴となり時効が成立した。こうした捜査の不手際などは十分に検証されていない」
「地下鉄サリン事件をはじめ、個々の事件については刑事裁判の場で真相の解明が図られた。だが、法廷に提出される証拠は限られる。裁判記録を積み重ねても事件の全体像を描くのは難しい」
「警察や検察、公安調査庁、さらには地下鉄サリン事件の被害現場に入った自衛隊などさまざまな機関が独自に情報を収集しているはずだが、これまでほとんど表に出ていない」

こう書いたうえで毎日社説は「政府の手で報告書作成を」(見出し)と訴える。

「一連のオウム事件は、死者27人、負傷者6000人以上を数えた未曽有の犯罪だ。政府の手で全ての記録を集約し、後世に教訓として残すための報告書を作成する必要がある。営団地下鉄(現東京メトロ)など民間の記録もあれば、それらを含め文献として残すべきだ」

そう言われてみれば、政府による報告書などない。政府内部にはそれなりの報告書はいくつかあるだろうが、それらが公表されたこともない。

最後に毎日社説は「短期間に13人もの死刑を執行した例はこれまでにない。今回の執行はどのような議論を経て具体的な手続きが決まったのか。こうした内容も報告書に盛り込むべきだ」と主張するが、当然だ。

産経よ、「合法」だから問題ないのか

産経新聞の社説(主張)は「反省は生かされているか」との見出しを掲げる。書き出し部分で、「国内に大規模なテロ集団を生んだ反省を今後に生かさなくてはならない」と訴える。何が反省で、どう生かしていくのだろうか。そう考えながら読み進むと、案の定である。

「今年1月、元信者の高橋克也受刑者の無期懲役が最高裁で確定し一連のオウム裁判は終結した。刑の執行を妨げるものは事実上、なくなっていた」と書いたうえで、「刑事訴訟法の定めにより、法相の命令によって執行を粛々と進めるのは、当然の責務である」と指摘する。

産経新聞は7月7日の1本社説でも現行法を頼りに「執行は法治国家の責務だ」(見出し)と同様の主張を繰り返していた。

いくら「合法だ」とは言え、前代未聞の13人という人数をまとめて絞首刑にして「当然だ」というような主張は一辺倒で薄い。法律ですべての問題が解決されると考えること自体がおかしいからだ。