「奇形なものとして眺めるだけではどこにも行けない」
次に毎日新聞の社説(7月7日付)を取り上げよう。
毎日社説も「日本の社会にとってオウム事件とは一体、何だったのか」との疑問の声を上げ、「松本死刑囚は真相を語ることなく、刑が執行された。それでも、その問いかけは依然私たちにとって重い意味を持つ」と指摘する。
そのうえで「作家の村上春樹氏は、地下鉄サリン事件の証言集『アンダーグラウンド』の中で、こう述べている」と書く。
「事件を起こした『あちら側』の論理とシステムを徹底的に追究し分析するだけでは足りないのではないか。オウム真理教という『ものごと』を純粋な他人事として、理解しがたい奇形なものとして対岸から双眼鏡で眺めるだけでは、私たちはどこにも行けないんじゃないか――」
「あちら側」と「他人事」、そして「奇形なもの」。さすが村上春樹氏だ。オウム真理教が一連の事件を起こすなかで、「オウムこそ宗教だ」と語った学者もいた。
松本死刑囚の死刑執行で事件は終わったという意見もある。一区切りだという考え方もある。だが、刑事事件に対する処理は終了しても、本質の解明には至ってはいないのだ。
カルト思想については、国際的にも注目されている
毎日社説は続ける。
「1980年代後半から90年代半ば。バブルからその崩壊にかけて現実感が希薄化し、超常的な力へ人々の心が引き寄せられる中で事件は起きた。そうした中、人類救済を掲げていた教祖の価値観を、洗脳された若者が全面的に信頼してしまった」
「多くの信者が今は、マインドコントロールの呪縛から解き放たれている。これまで口を開いていない人も少なくないだろう。カルト思想については、国際的にも注目されている。村上氏のいう『あちら側』の対岸で、検証を重ねるべき対象は、まだまだ残っているはずだ」
その通りで、足を流れに突っ込んで対岸に渡り、時間をかけて調査し、考察する必要がある。