7月25日、英・豪軍が、サマワに近いキャンプ・スミッティのレーダーでロケット弾射撃らしき反応を確認するという事態が発生した。その際、英・豪軍は緊急対応部隊を展開させ、自衛隊はUAVによる偵察を実施するという連携を見せた。8月7日のミーティング内容から、UAVは「経路」の偵察にも使われていたことが確認できる。

さらに2005年10月26日の「ジャマーによるUAV影響確認試験」の記載から、車両移動を意識したUAV運用がなされていたこともわかる。ちなみに「ジャマー」とは遠隔装置で起爆するIED(即席爆発装置)に対抗して、赤外線センサーをかく乱するための赤外線パルス装置である。自衛隊の車両がジャマーを搭載していたことは、『日報』の別の箇所からも確認できる。

11月6日の『日報』では、オーストラリア国防省がイラクの部隊に「小型無人偵察機」4機を導入すると発表したことに関する読売新聞の報道が紹介されている。あわせて、それまで豪軍がUAVを所持していなかった経緯の説明などが、『日報』には追加的に記載されている。そこで「UAV」にあたると思われる文字の箇所に黒塗りがなされているのだが、日本の新聞が「小型無人偵察機」と書いたところを黒塗りにしていないので、容易に「UAV」についての記事であることが推察できるようになってしまっている。実際に、11月10日以降の『日報』では、キャンプ・スミッティにいる自衛官の業務に、繰り返し「UAVの飛行計画」が登場するようになる。UAV飛行計画について、日・豪間で、調整が図られていたということだろう。

2006年6月4日、「情報収集」の項目に、「UAV飛行経路偵察」の文字がある。ちなみに『日報』のフォーマットとして、サマワでの活動予定に「情報収集」の欄が登場するのは、それまで「ルートチェック」と記載されていた欄が消えてからである。両者の内容は重複していると推察できる。「情報収集」は、「ルートチェック」の目的で行われていた。そのためにUAVが使用されていた。

『日報』に記された情報が敵対勢力に流れたら

ルートとUAV偵察が結び付けいていたことの意味を考えてみよう。例えば、『日報』記載情報が、敵対勢力に流れた場合、どうなるか。敵対勢力は、UAVを発見したとき、それを車両通過の可能性と結び付けて考える、ということだ。

『日報』2006年6月14日記載の群長指導でも指摘されているように、イラクにおいて最大の脅威は、IDEであった。つまり無人地域での待ち伏せ攻撃の形態であった。そこでジャマーなどの装置で防ぐ措置もとるが、一番重要なのは、ルート選定を予測させないことだ。ルートは、最重要機密事項であったはずだ。UAVはルート調査において重要な役割を果たしたはずだが、逆に敵対勢力にルートを推測させる要因になってしまったのでは、逆効果だ。