「誤ったメッセージ」で朝鮮戦争を誘発?
対中国政策で大失敗をしたにも関わらず、アチソンは1949年、マーシャルの後任として、国務長官に任命されました。当時、アメリカ国内では、中国問題が重視されず、共和党の一部強硬派を除けば、中国の共産主義化についての責任を厳しく指弾する者はほとんどいませんでした。
アチソンのデタラメさが明るみに出るのは、朝鮮戦争の開戦以降です。アチソンは1950年1月、「不後退防衛線」つまり譲れない領域として、日本・沖縄・フィリピン・アリューシャン列島を挙げました(「アチソン・ライン」)。この「防衛線」を侵されれば、アメリカは軍事行動に出るとしたのです。しかしアチソンはこのことで、逆に「防衛線」以外の地域、例えば朝鮮半島南部を侵されたとしても、アメリカは軍事行動に出ないという解釈の余地を生じさせました。
1950年6月25日、スターリンと毛沢東の支援を受けた金日成率いる北朝鮮軍が、突如38度線を超えて韓国に侵攻し、朝鮮戦争が勃発します。「アメリカは朝鮮半島に関与しない」という誤ったメッセージを北朝鮮や中国に送ったことが、朝鮮戦争を誘発したと、共和党強硬派はアチソンを批判しました。
その急先鋒(せんぽう)が、後に「赤狩り」で旋風を巻き起こすジョセフ・マッカーシー上院議員でした。マッカーシーは著書の中で、マーシャルやアチソンを「ソ連と通謀していた売国奴」と糾弾しています(*4)。いささか過激な表現ですが、マーシャルとアチソンの対アジア政策は、そんなことさえ想起させるほど拙劣であったことは事実です。
アジアのことはアメリカにとって、しょせん遠い国の出来事です。歴史を振り返れば、アメリカがアジアの安全保障に関し、最後まで責任をもって問題を解決した事例を挙げるのは難しいことがよくわかります。現在のトランプ政権がその例外であると、果たして私たちは期待していいのでしょうか。
(*1)1946年、ディーン・アチソン国務次官記者会見
(*2)下斗米伸夫『アジア冷戦史』(中公新書)2004年
(*3)1946年、ディーン・アチソン国務次官記者会見
(*4)ジョセフ・マッカーシー、本原俊裕(訳)『共産中国はアメリカがつくった-G・マーシャルの背信外交』(成甲書房)2005年、原書はJoseph McCarthy『America's Retreat from Victory:The Story of George Catlett Marshall』(NightHawk Books)1951年
著作家。1975年、大阪生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業。おもな著書に、『世界一おもしろい世界史の授業』(KADOKAWA)、『経済を読み解くための宗教史』(KADOKAWA)、『世界史は99%、経済でつくられる』(育鵬社)、『「民族」で読み解く世界史』(日本実業出版社)などがある。