今年3月、中国の習近平国家主席は憲法改正を断行。「習近平思想」が国家の指導理念として盛り込まれた。中国事情に詳しい石平氏は「中国における習近平の立場は、歴史上の『真命天子』としての皇帝と同じになった。その地位に見合う実績をえるために、領土拡張政策を強化する」と警鐘を鳴らす。その標的には日本が含まれている――。

※本稿は、『なぜ中国は民主化したくてもできないのか』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

習近平の考え方が中国の「憲法」になった

日本の国会が「森友学園問題」という「コップの中の嵐」で大きく揺れていたあいだ、日本を取り込む東アジア地域の政治では、巨大な嵐の到来を予感させるような激変が起きていた。

平昌五輪における「南北融和」から米朝直接対話実現へ向かう一連の動きは、朝鮮半島情勢に大きな地殻変動をもたらそうとしている一方、大陸側の中国では、1980年代の鄧小平改革以来、もっとも大きな権力構造の異変が起きていたのである。

去年10月の共産党大会で権力基盤を固めた習近平国家主席は、今年3月に開催された全国人民代表大会で憲法改正を断行し、毛沢東時代の再来を彷彿(ほうふつ)とさせる個人独裁体制の確立に成功した。

改正された憲法には、「習近平思想」なるものが「国家の指導理念」として盛り込まれたが、その意味するところはすなわち、今後の中国においては習近平の個人的な考え方が憲法となり、政治的指導者としての習近平の絶対的な地位と権威は、憲法によって保障されることになる。これで中国における習近平の立場は、歴史上の「真命天子」としての皇帝と同様のものとなった。

その一方、習近平の手によって改正された中国の憲法では、改正前の憲法によって定められた「2期10年」という国家主席の任期制限が撤廃された。任期制限が撤廃されれば、現役の国家主席の習近平氏は死ぬまで最高権力の座にいることが可能になるが、それこそが習近平の狙うところである。彼のめざすところは要するに、往時の毛沢東と同じような「終身独裁者」になることだろう。

中華人民共和国の創設者である毛沢東は、1949年の政権樹立から1976年に彼自身が死去するまでの27年間、絶対的な独裁者として中国に君臨して皇帝然として振る舞った。平和な時代であるにもかかわらず、数千万人の人々が殺されたり自殺に追い込まれたりした毛沢東時代は、中国史上の暗黒時代として記憶されている。

毛沢東の死後、彼の独裁政治の被害者でもある鄧小平が権力を握ってから、絶対的な独裁者の出現による災難の再来を防ぐために、さまざまな政治改革が試みられた。最高指導者の定年制を政治的ルールとして導入し、1982年に改正した中国の憲法には前述の「2期10年」という国家主席の任期制限が設けられた。

重大な意思決定は中央指導部の討議と合意によってくだされるという集団的指導体制も導入したが、鄧小平が行った一連の政治改革の狙いはもちろん、毛沢東のような皇帝型の独裁者の再来を防ぐためであった。