※本稿は、石平『なぜ中国は民主化したくてもできないのか』(KADOKAWA)の内容を再編集したものです。
中国の近代とは「新皇帝」をつくり出すプロセスだった
2017年10月の党大会から今年3月の全人代にかけて、国家主席の任期制限を撤廃し、自らの「思想」を党の規約と憲法にまで盛り込んだ習近平は、「朕は憲法なり、朕は国家なり」というほど絶対的な独裁者としての地位を確立し、実質的な「新皇帝」となった。これから彼が行うだろう、中華帝国の「皇帝=天子」としての中華秩序の再建は、日本にとっては危険極まりないものである。
しかし冷静に考えてみれば、この民主化と逆行するような変化は、実に不思議なものだ。民主主義の価値観やIT技術が世界全体を席巻している現在において、なぜ中国では再び「新皇帝」が登場し、独裁政治が大手を振ってまかり通るのだろうか。一見すると時代錯誤のようにも思えるが、実は中国にとってこうした考え方は、非常に「合理的」なのである。
中国史上、初めて皇帝となったのは紀元前3世紀の秦の始皇帝だが、1912年に辛亥(しんがい)革命という名の近代革命が起きた結果、清朝最後の皇帝である宣統帝が退位し、「皇帝」という称号が廃された。しかし、それは決して中国における「皇帝政治」の終焉を意味しなかった。
清朝皇帝の退位からわずか37年後の1949年、毛沢東が天下をとって一党独裁の共産党政権を樹立し、事実上の「赤い皇帝」となって中国に君臨した。つまり中国の「近代革命」の成果は、清王朝という一王朝の終焉であっても、皇帝政治そのものの終わりではなかったである。辛亥革命とそれ以後の中国近代史は、毛沢東という「新皇帝」をつくり出し、皇帝政治を復活させていくプロセスであると捉えれば、中国の近代史がまったく違ったものに見えてくる。
一度は「脱皇帝政治」へ進むように見えたが……
そして1976年に毛沢東が死去したあと、まさにその独裁政治がもたらした弊害に対する反省から、鄧小平改革が始まった。鄧小平は、経済の市場化・自由化を進め、同時に集団的指導体制や指導者定年制の導入などを中心とした政治改革を導入した。その結果、中国の政治体制は共産党一党独裁を堅持しながらも、「脱個人独裁」「脱皇帝政治」への方向へと進んでいくように思えた。