しかし江沢民、胡錦濤政権をへて、2012年11月に習近平政権が誕生してからわずか数年のあいだ、鄧小平による政治改革の成果は、いとも簡単に葬り去られ、独裁体制が急速に復活した。毛沢東の死去から42年目にして、中国では再び「皇帝」の称号こそもたないが、新しい皇帝が登場した、といってもかまわないだろう。
繰り返すように、辛亥革命から始まった中国の近代史は、秦の始皇帝以来の皇帝政治の伝統を受け継いで「新皇帝」をつくり出すための「近代」であった、と捉えるほうがより自然だ。どうやら中国という国は、いつまでたっても皇帝政治から脱出できないようである。しかし、それはなぜだろうか。中国という国はなぜこの21世紀においても、「皇帝」という名の独裁者をつくり出さずにはいられないのだろうか。
中国史上に登場した皇帝は600人以上
拙著『なぜ中国は民主化したくてもできないのか』(KADOKAWA)は、まさにこうした問題意識から、中国における「皇帝政治」の謎に迫った1冊である。その謎を解くカギはもちろん、秦の始皇帝以来の「皇帝政治」の歴史そのものにある。
前述したように、中国における皇帝政治の伝統は、紀元前221年に秦の始皇帝が中国大陸を統一し、史上初の大帝国を創建したときから始まる。それ以前の中国史は、殷(いん)朝と周朝という2つの封建王朝のもと、いわば統一王朝の時代から春秋戦国の分裂の時代へと変遷したが、その時点では中国に「皇帝」は存在せず、皇帝を頂点とした中央集権の独裁体制も誕生していなかった。
殷朝と周朝の最高統治者は「王」と呼ばれ、「王」のもとには数多くの諸侯がいて、全国を分割統治していた。こうした政治体制は「封建制」と呼ばれ、日本の江戸時代の幕藩体制も似たようなシステムをとっていた。
そして、日本の幕藩体制が戦国時代の戦乱が収束してから確立されたのと同様に、中国でも春秋戦国の戦乱の時代をへて、天下が統一された。統一を果たした秦国の王であるエイ政(えいせい)は、それまでの封建制を廃止して中央集権の独裁体制を創建。同時に「王」の称号も廃止して、中央集権制の頂点に立つ絶対なる独裁者の新しい称号として「皇帝」を採用したのである。エイ政は自らを「始皇帝」と称した。