毛沢東死去から42年、「新しい皇帝」の誕生

鄧小平が導入したこの政治ルールが確立してから三十数年、中国の政治は共産党一党独裁を基本としながらも、個人独裁の弊害を取り除くことにある程度成功し、権力のあり方とその行使は少しずつ、制度化と安定化の方向へと進んでいった。そのなかで多くの知識人と国民は、この国の政治は毛沢東独裁時代と決別して、近代民主主義文明国家へと徐々に近づいていくのではないか、という期待を膨らませた。

しかし2012年11月に習近平政権が成立してから今年3月の全人代閉幕までのわずか5年半、この国の政治は四十数年前の毛沢東時代へと一気に逆戻りした。

「習近平思想」が憲法に盛り込まれたことにより、「朕即ち憲法」「朕即ち国家」という習近平個人独裁体制が確立された一方、国家主席任期制限の撤廃により、習近平個人独裁体制が本人の死去まで永久に続く道が開かれた。

そこで鄧小平改革の成果は放棄され、絶対的独裁者の再来を防ぐために確立した制度とルールは無残に破壊されたのだ。それに伴って、習近平という人間は実質上の皇帝として中国に君臨し、13億人の国民の運命を握ることとなった。

毛沢東が政権をとって「新しい皇帝」として中国に君臨したのは1949年、名目上の中国最後の皇帝である清朝の宣統帝が退位してからのわずか37年後である。そして1976年に毛沢東が死去してから42年、中国では再び「皇帝」の称号こそもたないが、新しい皇帝が登場した。どうやらこの国は、古くから続く皇帝政治からどうしても脱出できないようである。

「習近平独裁体制」のアキレス腱とは

どうして中国はいつまでも、皇帝政治の伝統から抜け出すことができないのか。この問題についての考察は他に譲りたいが、ここではまず、われわれ周辺国にとって「習近平帝政」の危険性を考えてみよう。

その危険性の1つは、新皇帝の習近平独裁体制が抱える大いなるジレンマにある。前述のように、習近平は「新しい皇帝」になるべく、自らの名前を冠した「習近平思想」を共産党の規約と中国の憲法に盛り込むことに成功したが、実は、それは彼自身にとってのアキレス腱ともなった。

中国共産党史上、指導者個人の思想が党の指導思想として認定された前例には「毛沢東思想」がある。1936年に党の主導権を握った毛沢東は、それから9年間かけて権力基盤を固めたのち、46年に開催された共産党第7回党大会で「毛沢東思想」を党規約に盛り込むことに成功した。