大岡越前守は吉宗の目にとまり町奉行へと飛び級

また、幕府では監察の制度があり、好悪や情実による職権乱用をすれば上司のほうが処罰されるハメになる。そのため、上司との相性は出世には無関係だった。

「実力さえあれば身を立てられる時代でした。たとえば大岡越前守(忠相)。時代劇の印象で江戸町奉行として行政、司法を担当した存在として知られます。でも彼は、もともとは将軍の御殿を警備する番士。それが18世紀初期、この能力主義の導入により、吉宗の目にかかり町奉行へと飛び級したのです。さらに寛政の改革(1787~93年)の時期からは試験制度も導入され、武芸・学問の両方が厳密に審査されるようになりました」(菅野氏)

はたして出世により嫉妬、非難を浴びることはなかったのか。

「小野一吉(くによし)という人物のように、下級身分の御家人から財務長官である勘定奉行まで出世する者が出ても、家格が高い武士たちは僻んだり足を引っ張ったりはしなかった。実力主義のなかでフェアな競争を繰り広げ、負けたときは“敵ながらあっぱれ”と称賛し、再チャレンジする。武士道精神が根付いていたのでしょう」(笠谷氏)

優れた功績があれば昇進し、そうでなければその地位に留まる。真の実力主義に基づく段階的昇進システムは、江戸時代に確立され、戦後の高度成長期まで日本の組織に一部が受け継がれた。健全でフェアな“出世競争”が再び評価される時期を迎えている。

笠谷和比古
歴史学者
国際日本文化研究センター名誉教授。京都大学文学部卒業。同大学院博士課程修了後、国際日本文化研究センターを経て現職。著書に『士(サムライ)の思想』『武士道の精神史』など。
 

菅野俊輔
江戸文化研究家
早稲田大学エクステンションセンター講師。早稲田大学政治経済学部卒業。江戸のくずし字や江戸学などの講師を務める。著書に『江戸の長者番付』『頭のいい江戸のエコ生活』など。
 
(写真=iStock.com)
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