「どうありたいか」があれば十分
社会も時代も変わっていく中で、でも自身がどうありたいか(to be)というモノサシがあれば、変わりゆく中でも判断できるのではないでしょうか。そして、自分らしくあるための意思決定と行動をしていけるのではないだろうかと思うのです。
決まった夢がないことに引け目を感じなくたっていい。大事なことは目の前のことに、真剣に取り組むこと。その中で、自身が大切にしたい価値観・モノサシを意識すること。
どうなりたいかなんてわからなくても、「どうありたいか」がおぼろげながらでもあればいい。モノサシを持って日々を過ごせば、自身の価値観に合致した環境や機会を呼び寄せるのだと思います。
夢や目標は描かない。価値観やモノサシは大切にする。
夢や目標は、常に変わりゆく「仮置きの存在」として、柔軟に見直していけばいいんです。大事なことは、日々の判断を支えるモノサシ。自身が大事にすること、どうありたいかが重要なのです。
「10歳上の先輩の今」と「今の自分」を比べなくてもいい
師匠を持つことの大切さを、先にも書かせてもらいました。目指す人がいるからこそ、そこに向けての道筋を逆算して描くことができます。師匠や、憧れの先輩を持つことは自身の先々を思い描く上でとても重要なことです。
一方で、目指すべき師匠や先輩の存在と今の自分を比べると、とても大きな差があるように感じてあまりにも自身が無力なのではないかという気持ちにさいなまれることもまた、あります。
15年前、僕が21歳でG-netを始める時、憧れ、そして強く意識をしたのは、北海道のYOSAKOIソーラン祭りでした。大学生4人が言い出しっぺとなり始まったお祭りも、当時すでに200万人規模となっていて、その迫力に圧倒されました。創始者の長谷川岳さん(現・参議院議員)は19歳・大学2年の時に立ち上げたものです。
実際に当時長谷川さんにお会いし、自身とのあまりの差に衝撃をうけ、なんだか卑屈な感覚すら覚えました。ただ、その時、長谷川さんは30歳、僕は20歳。今の僕と、今の長谷川さんの間には圧倒的な差があるけれど、そこで落ち込んでもしようがない。大事なことは、10年後の自分自身が、今の長谷川さんと肩を並べるようになっていればいいんだ……と言い聞かせることにしました。