恐るべき得点への執着である。ゴールに没頭できる、特異なキャラクター。それを生み出す確率が、スペインや南米は圧倒的に高いのだろう。

一方、日本ではそもそも執着することが良しとされない。個性を大事に、と奨励される空気は出てきたが、実際のところ、異端は断罪され、「出る杭は打たれる」。それは日本人の根っこに張り付いた道徳観なのだろう。「空気を読む」という言葉は一時はやったが、それは洞察力というよりは、「周りと折り合う、迷惑をかけない」という協調性を意味する言葉に近い。

ストリートサッカーで身につくメンタル

スペイン人と日本人の根本的なモラルの違いは、すぐ目にとまる。

昨年の秋、スペインの広場での話だ。年端のいかない、7~8歳の男の子たちがゴム製のサッカーボールを蹴っていた。脇にオープンテラスがあって人通りも激しく、通りには車が通る。そこで、子供たちは逡巡なくシュートを放つ。もしテラスにボールを打ち込めば、テーブルの上をひっくり返すことになる。おばあさんの頭に当たれば、あるいは走っている車に当たれば、事故になる可能性も捨てきれない。

にもかかわらず、子供たちは渾身の力を込めてボールを蹴る。そこに躊躇(ちゅうちょ)がない。彼らは空気を読むなんてメンタルはないのだ。

ただ、同行していたスペイン人指導者はこう言った。

「子供たちなりに計算はあるんだよ。周りを見て、最悪の事態にはならないことをできる限り回避している。むやみに脚を振っているわけじゃない。独特の緊張感の中で、無意識にスキルや度胸を身につけている。リスクをかけて勝負する感覚が、われわれは好きなんだ」

味方や敵との呼吸を身につける。そこでゴールをできる子どもは、ストライカーとしての資質があるのだという。

実はラウールも、ストリートサッカーをしている姿を見かけられ、スカウトされている。ぎらついた目でにらみ、才能が光っていたという。それは、見る人が見れば一目で見抜ける。

例えばスペイン代表FWジエゴ・コスタは、ユース年代までろくにサッカーを教わっていない。週末に友人と地元の試合に出る程度。特定のチームに所属していない。当然、全国的には無名の存在だったが、地元では知る人ぞ知る存在だった。不敵な面構えで、相手をはね飛ばすような馬力があり、呼び込んだボールをたたき込む、というシンプルなテクニックに恵まれていた。