※以下は『ドライチ ドラフト1位の肖像』(カンゼン刊)から抜粋し、再構成したものです。
甲子園での人気は、経営陣にとって魅力的
野球は数字の競技である。
打率、防御率、あるいはOPS(On-base plus slugging)といった数字で、全てではないにしても選手の能力を測ることができる。こういった数字を弾き出す上で必要なのは、しっかりとした母集団である。野球の場合であれば、ある一定以上の水準の試合をたくさんこなすことである。
その意味でアメリカは極めて合理的な選抜方法をとっている。アメリカではドラフトで何位に指名されたかということは意味がない。彼らはマイナーリーグに出場し、試合の中でふるいに掛けられるからだ。能力のある選手は上のカテゴリーに引っ張り上げられ、価値がないと判断された選手は消え去っていく。
一方、厳密な意味で日本にマイナーリーグは存在しない。二軍には、少なくない一軍の選手が調整という目的で降りてくる。そのため、実績のない若手選手の起用は限られるのだ。そして登録選手数が限られているため、ドラフト会議での指名は大切である。どの選手を指名するか、については甲子園での実績が判断材料とされてきた
本来甲子園は、選手の能力を測るのに適しているとは言えない。10代の成長期はその能力を測るのに難しい。その上、短期間で行われるトーナメント制で試合数が少ない。たまたま調子のいい選手が出てきたり、あるいは巡り合わせに恵まれ、上位に進出することもある。プロ野球に携わったことのある人間ならばそんなことは承知の上だ。しかし、それでも甲子園がドラフト会議で重要視されるのには理由がある。
甲子園に出場し、広く名前が知られている選手の指名についてはスカウトの責任がぐっと軽くなる。一方、甲子園に出ていない選手を推すことはそのスカウトの眼力を問われ、その選手が結果を残せなければ立場を失う。
また、甲子園での人気は、興業の面から経営陣にとって魅力的である。
そのため甲子園で結果を残したことで、本人の意思とは関わりなく、ドラフト1位に押し上げられる選手も出てくる。
荒木大輔はその一人だった。彼は最初の“甲子園の申し子”とも言える存在である。
早稲田実業入学直後、東東京大会を勝ち抜き夏の甲子園に出場、準優勝に輝いている。ここから3年生夏まで出場可能な5度の甲子園に出場している。