時代やシーンに適した運用力
語彙力の要素の一つは「運用力」です。言葉の意味を知っていて、かつそれを正しく使いこなせる力=運用力があってこそ、語彙力があると言えるのです。
言葉は、時代やシーンによって使い方や意味が変わるものでもあります。
例えば「女史」という言葉。これは本来「山田女史」「田中女史」という形で、社会的地位のある女性の敬称として使われる言葉です。ですが、男女平等の時代にあって、女性特有の敬称をつけるのは逆差別ともとられかねません。また、気性の激しい女性を揶揄して「○○女史は」と言うケースも見られますが、あまりいい言葉とは言えません。敬称として女史を使うのは誤用ではありませんが、時代状況を考えると、男性同様「山田氏」「田中氏」とするのがいいでしょう。
また、シーンによって意味に注意しなくてはならないのが「無礼講」。身分や地位の上下関係なく楽しむ宴ということですが、会社の飲み会で上司が「今日は無礼講だ!」と言ったからといってそれを真に受けてはいけません。「無礼講」を語義のままに実践し、翌日後悔しなかった人を、私はいまだかつて知りません。だからといって、いつものようにかしこまったままでいると「ノリが悪い」と思われてしまいます。「無礼講」と言われたら、いつもより少しテンションを高くしておくくらいが安全です。
「忖度=悪いこと」ではない
2017年の流行語大賞になった「忖度」。これは政治家が使って膾炙した言葉ですが、特に目新しい言葉ではありません。元をたどれば、平安中期の菅原道真の漢詩集『菅家後集』にも使われているくらい歴史のある言葉です。
人の気持ちを推し量る、先回りして配慮するという意味で、「忖度する」「このたびの忖度」という形で使います。「忖度」自体に善悪の価値基準はないのですが、政治献金の話題で使われたことによって「忖度=悪いこと」ととらえている人が多いかもしれません。
もし、いい意味で「忖度」を使う文脈があったときに、「その使い方は間違っているよ」と恥ずかしい指摘をしないように、正しい語義を知っておきたいものです。