自分が休職中に後輩が出世「地位」を奪われた
例の後輩が「主任に昇進した」というのだ。かわいい後輩が、かつてAさん本人が企画書を出したプロジェクトの責任者に就いた、と。その事実を聞いて、Aさんはやっとわかった。なぜ、上司の態度が急に変わったのか、が。
この事例では、後輩の意図がわかりやすい。
「憧れ」の先輩に取って代わるために、自分が聞いた愚痴や上司に対する不満を多少ふくらませて上司の耳に入れたのだろう。
こんなふうに、他人から聞いた話に尾ひれをつけて吹聴し、誰かを陥れることによって、のし上がろうとする人間はどこにでもいる。
▼「他人の幸福が我慢できない怒り」に突き動かされる人
怖いのは、その人自身には何の得もなさそうに見える場合でも、そういうことをする人間が一定の割合で存在することだ。先輩を蹴落としたからといって、必ずしも自分が昇進できるとは限らないのだが、それでも、上司に告げ口する。
これは、「他人の不幸は蜜の味」と感じるからで、そういう感情を「羨望」と呼ぶ。17世紀のフランスの名門貴族、ラ・ロシュフコーは「羨望というのは、他人の幸福が我慢できない怒りなのだ」と言っているが、まさに名言である。
この後輩のような人物を見抜くのは簡単ではない。他人がターゲットにされていれば、比較的簡単に見破れるかもしれないが、自分自身がターゲットにされている場合は、なかなか気づかないものだ。
また、Aさんの事例を見ればわかるように、自分が痛い目にあうまでは、はっきり認識するのが難しい。そのため、秘められた悪意や陰湿な攻撃に気づくまでに時間がかかることが多い。
しかも厄介なことに、こういうタイプは、気づかれないように攻撃を隠蔽する達人である。Aさんも、「先輩は、私の憧れです」という歯が浮くようなおべんちゃらを真に受け、安心して愚痴をこぼしたり、新しい企画について相談したりしていたわけで、気づいたときにはもう手遅れだった。
このように、相手を直接攻撃するわけではなく、こそこそと遠回しに打撃を加え、引きずりおろそうとするタイプに対して防御するのは、なかなか難しい。
何よりも怖いのは、うわべをつくろい、誠実そうにふるまいながら、突然計算高さをのぞかせることだ。おまけに、虚実とり混ぜて語るので、周囲はころっとだまされる。