旧ジャニーズ事務所は長らく日本のエンターテインメントの頂点に君臨していた。その栄光を支えたのは同社が巧みにスターダムにのし上げた男性アイドルたちだ。
だがタレントマネジメントの辣腕ぶりとは裏腹に、同事務所では目を覆うようなずさんな経営と舞台裏での人権侵害がまかり通っていた。具体的には、ジャニー喜多川こと創業者の故喜多川擴の少年たちに対する長年の性加害とその隠蔽だ。
このスキャンダルは被害者に深刻な心的外傷を及ぼしただけではない。同事務所の信用は地に落ち、企業スポンサーやテレビ局に見放されて財政状況も一気に悪化した。
エンタメ業界は特殊と思われがちだが、同様のガバナンスの欠如はどの国のどの業界にも見られる。カリスマ的トップが絶対的な力を持ち、その取り巻きが社内の異論を封じ込め、メガトン級のスキャンダルが勃発するまで知らぬ存ぜぬを押し通すのだ。
旧ジャニーズの場合、タレントの生殺与奪の権を握る家父長的なボスと、タレント志望の10代の訓練生という圧倒的な力の差の下、ひどい虐待が長年繰り返された。
被害者への補償手続きは進行中で、スキャンダルがもたらす社会的変化はまだ明確になっていない。ただ、この問題が日本企業に何らかの教訓を与えたとすれば、労使関係を根本的に見直す必要がある、ということだろう。
少子高齢化で労働市場の変化が不可逆的に進む一方で、人権に対する企業の姿勢が厳しく問われるようになっている。職場環境の改善に本腰を入れなければ優秀な人材を確保できず、投資家や消費者にそっぽを向かれかねない。
ショービジネス以外の業界では、ここ10年ほどで労使の力関係の変化が徐々に進んできたと、専門家は指摘する。
求人が増えたおかげで、求職者の選択肢は広がった。ソーシャルメディアの普及で内部告発がやりやすくなり、集団主義的な職場でさえ不正行為を隠蔽しにくくなった。業種を問わず、どの企業も、サプライチェーンにおける強制労働から社内のハラスメントまで種々の倫理規定を重視せざるを得なくなっている。