田原さんの番組でバイオ燃料の道に

【田原】いざ会社を買って、次はバイオ燃料のビジネスを始めた。

【合田】じつはバイオ燃料に目を付けたのは田原さんの「サンデープロジェクト」がきっかけでした。あの番組で、ガイアックスという会社が新しいアルコール燃料と既存の石油業界の軋轢を取り扱っていたのを見て、こういう分野があるんだなと。

日本植物燃料代表 合田真氏

【田原】そうだったんですか。バイオ燃料は具体的には何を?

【合田】バイオ燃料には、アルコール系と油脂系の2種類の燃料があります。私たちがやっているのは油脂系。ごま油や菜種油のように搾油をして、燃料として使えるものにします。用途としては軽油の代替で、ディーゼルエンジン用。昔は東京都の都バスに卸したりしていました。

【田原】バイオディーゼルですか。販売量はどれくらい?

【合田】当初は大した量ではなかったです。私たちは2002年からバイオ燃料を扱っていますが、当時は高くて人気がありませんでした。状況が変わったのはイラク戦争が始まってから。石油価格が上がって相対的にバイオエネルギーが安くなりました。さらにその後京都議定書が発効されたり、オバマ大統領がグリーン・ニューディールを打ち出したりして、バイオ燃料ブームに。その流れに乗って私たちの取扱量も増えていきました。

【田原】モザンビークとの出合いを教えてください。

【合田】東京都にバイオ燃料を売っていたときに一緒に組んでいた石油会社が、バイオ燃料ブームに乗ってアフリカで大量生産する計画をぶちあげました。ただ、彼らはバイオ燃料に必要な農業の専門知識がない。そこで私がコンサルタントとして関わることになりました。石油会社の事業展開先がたまたまモザンビークだったという経緯です。

【田原】モザンビークはポルトガルの植民地で、独立後も内戦が長引いていました。危なくなかったですか。

【合田】1992年まで内戦していましたが、私が行ったのは06年。内戦終結から十数年経っていて、政治的には比較的安定していました。

【田原】モザンビークで何をやっていたのですか。

【合田】最初の石油会社だけでなく、いろいろなところの研究開発事業をお手伝いしていました。とくに環境省や農林水産省など国の案件が多かったですね。アフリカでバイオ燃料をやっているプレーヤーが非常に少ないので、私たちに声をかけてくださるんです。