※本稿は、小林邦宏『鉄道ビジネスから世界を読む』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。
アフリカのスタンダードを確立した中国の「南南協力」
鉄道プロジェクトを通じた中国のアフリカ進出は凄まじい。そして、中国によるアフリカ諸国での鉄道復旧や建設は21世紀に入ってから着手・実現したものが多い。これだけを見ると、急速な経済発展で力をつけた中国が大国の態度で手を差し伸べているような印象を受ける。しかし実際には、中国は鄧小平の実践した開放政策で経済発展への歩みを始める1980年代後半以前から、アフリカ諸国へのアプローチを進めていたのだ。
じつは、中国がアフリカへの支援を始めたのは50年代のこと。中華人民共和国の建国が49年だから建国直後から、そして大躍進政策や文化大革命の失敗で中国が疲弊していた60〜70年代も通じて継続していたのである。
世界銀行が公表している資料によれば、60年時点での中国のGDPは464億ドル。2017年の12兆2504億ドルと比較すれば、じつに250分の1程度に過ぎなかった。世界の最貧国というほどのレベルではないが、その後の文化大革命(1966〜76年)の失敗では数千万人もの餓死者が出たといわれている。
そして、そんな時代にも中国はアフリカへのアプローチを続けてきたのだ。自分自身の今日の食事もままならない状況で、自分よりも貧しい対象を見つけて支援という名目でカネを貸して利益を得ようとする商魂(ビジネスマインド)は注目に値するだろう。そして、中国がアフリカへのアプローチを始めた50年代というのは、スーダンが56年に独立したように、アフリカ諸国がかつての植民地支配から脱して独立を勝ち得ていった時代と重なっているのだ。
自分たちと同じように第2次大戦後に独立したアフリカ諸国に対する支援を、中国政府は「南南協力」と名づけた。
従来の開発途上国(南)に対する支援が、先進国(北)からの垂直型プロジェクトだったのに対して、中国は同じ開発途上国同士(南+南)の協力関係を提唱したのだ。今日の視点からは慧眼というべきだが、当時、独立直後の中国も国連非加盟(71年、中華民国に代わって代表権を得た)で世界の外交コミュニティからは外れたポジションにあった。
そして、中国の「南南協力」は、アフリカでは確実に“スタンダード”としての地位を確立していったのだ。